時代は昭和に遡りますが、1980年に誕生した『フィーバー(SANKYO)』やその派生機種、いわゆる「デジパチ」では、初期の頃搭載されていた「デジタルの即止めボタン」によって大当りが狙い打ちできる攻略法が発覚し、多くの人気機種が撤去されてファンをガッカリさせました。先ほどの3つのうち、理由3「攻略対策など」のパターンに該当する撤去理由です。
現在も語り継がれる「一発台撤去」
そして1990年以降、現在もファンの間で語り継がれている「一発台撤去」が始まりました。これは同年施行された規則改正による撤去(先ほどの理由2)になりますが、当時一発台の代名詞的存在だったのが『スーパーコンビⅡ(SANKYO)』です。中央には「クルーン」と呼ばれる3カ所穴の空いたお皿型役物があって、ここに玉を入れ、なおかつ「当り穴」に入らなければ大当りを獲得できません。しかし難関をクリアすればホール側がストップをかけるまで延々と出玉を獲得できるという、まさにギャンブル性溢れる存在でした。
一発台は、当時ホールのメインではなく奥の方に設置されていることがほとんどでしたが、新装開店ともなれば真っ先にオジサンたちがそのエリアに突進し、争奪戦を繰り広げるのがお約束。開店サービスで釘が甘い=確実に勝てるジャンルだったからです。ちなみに『スーパーコンビ』は大当りになると「静かな湖畔」が流れるのですが、コワモテのオジサン達が次々当てる中、牧歌的な民謡がまるで輪唱のように聞こえて来るのも異様で、思わず笑ってしまったものです。
限りなく黒に近いグレーな存在
しかし実は一発台は正式なジャンルではなく、釘を極端に曲げて大当り中の入賞ルートを作り出す必要がありました。パチンコでは釘について、それ以前より公安委員会規則にて、
「遊技板におおむね垂直に打ち込まれているものであること」
という項目が明記されていたため、明らかにグレー(黒?)な存在であったわけです。よって、90年の規則改正をきっかけとして「釘を極端に曲げている存在も排除せよ」という流れとなり、この他にも大当り中「おまけチャッカー」と呼ばれる入賞口へ無理矢理玉を流し込むデジパチ類も、一切禁止となりました。