実母の期待に応えて継父を「パパ」と呼んでいるけれども、「父親」とは思っていない。沙織さんは、実父への想いを無視した実母への不信感と、会えなくなった実父への思慕を持ち続け成長しました。そのことが、継父との関係を心理的に避ける行動につながり、継親子関係を発達させなかった要因といえるかもしれません。
ただし、継父は生活費や教育費などの経済的側面から沙織さんをサポートし続けており、教育達成(大学院進学)や社会的自立の後押しとなる肯定的な効果をもたらしています。
生活のお金の半分は父(継父)から出ているので、そういう意味ではとても感謝してましたし、ありがたい人だと思っていたんですが、でも、特にその、仲悪くする必要はなかったですけれど、仲よくしようという気もそんなに起こらず。何でしょうね、やっぱりあんまりお父さんとは思ってなかったのかな。「一緒に住んでいる人」とか、もしくは「スポンサー」のような。
継親が「すぐキレ」て激しい暴力
次に紹介する早紀さん(20代後半、女性)は、5歳のときに両親が離婚、7歳のときに実母が再婚し、継父と同居するようになります。離婚後も週1回、実父との交流が続いていましたが、再婚を機に引っ越すことになり、実父とは会えなくなってしまいます。実母は実父の写真の全てを捨て、「もう会えない」と言われてからは「会いたい」と口にすることはできなかったと言います。再婚後、同居するようになった継父が、自分と兄二人に対してとった行動を次のように語っています。
まず変な説教から始まりました。(継父を)「おじさん」ってずっと呼んでたんですよ、私。「何で呼べないの? お父さんって」っていうのを、(継父の)説教が、例えば夜の8時ぐらいから始まったとしたら、小学校2年生の私に朝の5時ぐらいまで延々と。【朝の5時。一晩中っていうことですね。】そうです。寝たら叩かれるので。【ああ、それは辛いですね、相当。】そうですね。で、私が体調悪くして学校休むとかなると何か向こう(継父)も休むんですよね仕事を。だからどんなに熱出ても学校行って保健室で寝てたりとか。【それはお兄さんたちに対しても同じですか?】そう、みんな一緒です。私の場合は顔(への暴力)はないんですけど、お兄ちゃんは目から血出してたりとかしました。
※【 】はインタビュアの言葉です。