呼び名(呼称)は相手とどのような関係にあるかを象徴するものです。早紀さんの場合は、継父みずからが「お父さん」と呼ぶように求めてきました。継父が実父になり代わって、「父親」の地位と役割にあることを早紀さんたちに強引に認めさせようとしているように思えます。「お父さん」と呼ぶように強要したり束縛したりする態度や、「すぐキレる」と激しい暴力を受けた恐怖体験は、成人後もトラウマになっていると言います。さらに、継父からの行動が虐待的なものへと発展しても、自分たちを守ってくれなかった実母に「不信感」を募らせ、「(母から)愛されてると思ってなかった」と語ります。
お母さんも、まあ私でも(継父が)怖くて助けられないと思うんですけど、もちろん(母が継父の行為を)止めることはあるんですけど、いつも止めてくれるわけじゃないので、何なんだろうと思って。
実父と再会したときの感情
再婚後から始まった継父の暴力は実母にも及んでおり、継父は虐待的行為を通じて家族を支配下に置いていたのです。実母は、早紀さんが10歳のときに夜逃げ同然で住んでいた家を飛び出し、離婚届を出したことによって、継親子関係は終わりを迎えます。実母がとった行動が、継父の暴力から子どもたちを守り、避難させることにつながったケースです。しかし、継父と母親は絶縁しましたが、継父からの虐待的行為から保護してくれなかった不信感から、母親との関係が悪化し、中学時代は友だちと夜間外出し、高校時代は交際相手の男性の家に長期滞在する生活だったと言います。
実母の再婚を機に7歳のときから交流が途絶えていた実父(別居親)とは、成人してから突然再会する機会が訪れました。それまで実母から聞いていた実父は、金遣いが荒い・パチンコ好き・養育費を支払ってくれないなどネガティブなイメージばかりであり、実父に対する思慕や親密な感情はなかったと言います。
(再会したとき)「お父さんだよ」みたいな(笑)。だから何? って思っちゃったんですけど(笑)。私はお母さんから養育費もらってなかったとか、何かそんな話しか聞いてなかったので、あまりいいイメージ持ってなくて。まぁ、片方から聞いた話だけじゃねっていうのもあったんですけど。(中略)養育費というか、慰謝料みたいな感じで、これだけ払ったんだよとかって言われて、そんなの私が今聞いたってどうも思わないしっていう(笑)。
親密な感情が沸きあがることはなかった
実父から聞いて、ディズニーランドや遊園地に行った写真や子どもたちの写真や通信簿を保存していたことを知ります。実は養育費を支払っていたと聞かされ、実母から聞いていた話とは別の実父の一面を知ることになるのですが、再会を喜ぶ実父に対しどこか「冷めている」と早紀さんは話します。別れてから17年間の空白期間を埋められず、再会によって親密な感情が沸きあがることはなかったと振り返っています。