すでにその時期、緒方は松永の影響下で変貌を遂げていたのである。松永への印象を尋ねたところ、岩見さんは次のように話す。
「途中から怖い存在だと思うようになりました。松永が話してたんですけど、彼が尊敬してるのは織田信長とキリストと2・26事件の首謀者だそうです。『キリストは人を殺しているから偉い』と口にしていました」
意識朦朧とする中で会社の手形帳を……
岩見さんは松永と初めて会ってから半年後、交通事故に遭遇して入院してしまうのだが、そこで大きな失敗を犯してしまう。
「入院中、私の頭が朦朧としていたのが悪かったんですが、松永がやってきて、私の会社のやりくりのために、『街金から追いかけられているので、カネを渡さないといけない』と言われたんですね。それで従業員に頼んで、うちの会社の手形帳と社印を渡してしまったんです」
松永が自己資金を確保するために、その手形を乱発したことは言うまでもない。当然ながら岩見さんの会社は破綻に追い込まれた。
「いよいよおカネが回らなくなり、家と会社を捨てると松永に言ったんです。そうしたら彼と緒方が私にアパートを用意してくれて、そこに匿われました。そのときは2日に1回くらいの割合で、カップラーメンなどの差し入れを持ってきていました。やがて、その生活に耐えられなくなって、知り合いがいる石川県に逃げることにしたんですけど、そのときは松永が旅費を出してくれています。まあ、それまでいっぱいカネを引っ張っとるからやないですか……」
他人事のように話すが、そうした“隙”を持った人物を見つけ出しては、徹底的に付け込むのが松永の手段だった。
「人柄はだらしないけど、お人よし」
「結果的に私の名前で多額の借金をされていました。あと、私が知っている重要人物、つまり商売的に太い顧客ですね。そういう人を何人も紹介したんですけど、そこからもカネを騙し取ったようです。私が一度こっちに戻ったとたん、街金が取り立てに来ました。それでもう地元に居られなくなったんです」
かつて柳川市周辺で取材した際に得た情報では、岩見さんは20代の頃は、電機メーカー勤務を経て福岡県大川市の郵便局に勤め、その後、佐賀県佐賀市で電気店をやり、続いて同市で喫茶店を経営するも潰している。それからは柳川市で焼き物の店を開いており、同時に大川市で画廊も開いていたことがわかっている。逃走する前には知り合いや画廊の顧客など、いたるところに借金を申し込んでおり、金策に走り回っていたようだ。
その取材の折に、岩見さんを昔から知るという知人から聞いていた人物評は、画廊を開いている時代は「あっちの女、こっちの女と渡り歩いて、離婚した妻や兄弟には散々迷惑をかけていた。そういう点で人柄はだらしないけど、お人よし」というものである。だが、私が隠遁先で目にした彼は、すっかり精気を失った、抜け殻のような状態だった。