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まともに歩けなくなる暴力、生活面での虐待

〈美咲は、松永からの借金返済要求に応えるため、親戚や知人から名義を借りて金融機関から借金した。松永から要求された時期に返済ができなければ、松永は他の従業員に命じて美咲に暴力を振るわせ、虐待した。その暴力の内容とは、正座させて太ももを踏み付ける、拳骨で後頭部を殴る、喉を空手チョップのようにして殴る、股間を蹴り上げる。4の字固めを掛けるなどだった〉

 ちなみにこの4の字固めは、松永から命じられた夫の中谷さんがやっており、まともに歩けなくなった彼女は、約2カ月半にわたって入院している。そうした日常的な虐待は、生活面においても行われていた。

©️iStock.com

〈食事は1日1食だけで、しかも、その内容は、丼一杯のご飯と、チキンラーメンかマルタイの棒ラーメンだけで、まれに生卵が一つ付いた。食事時間の制限も、時々は行われた。他方、美咲の父は、3日間くらい断食させられたこともあった。美咲は、喉を殴られる暴行を受けたために食べ物が喉を通らなかった時期があり、やむなく1日1食だけの食事をも残したところ、松永から、制裁と称してその残り物をミキサーにかけて無理矢理飲まされたため、意識を失ったこともある。また、入浴は週2~3回程度しか許されず、水風呂に入ることを強制されることもあった〉

 まさに後に松永と緒方が起こした、数多の事件と同じ手口での虐待が、すでにここでも起きていたのである。また、彼らが逃げられなかった理由についても論告書は触れている。

従業員同士で相互に監視させ

〈美咲は、夫や他の従業員と打ち合わせて、一緒に逃げようかと考えたこともあったが、ワールドの従業員は、互いに疑心暗鬼になるように仕向けられており、実行は不可能だった。松永は、従業員に命じて、いつも相互に暴力を振るわせていたし、従業員相互に互いの落ち度等を密告させたりもしており、その結果、自分たちは、相互に監視しているような状態になっていたからである。それは、当時の夫であった中谷との間でさえも同じだった〉

 美咲さんが松永の元から逃げ出したのは、1992年6月のこと。同時に、財産を奪われた彼女の家族も地元から忽然と姿を消し、親類との繋がりを絶っていた。

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小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 それから10年後の2002年に松永と緒方が逮捕されたことで、捜査機関によって消息を突き止められ、当時の事情を聴かれた美咲さんについて、論告書は次のように報告する。

〈今でも、事件のことを思い出すと、吐き気を催したり、涙が止まらなくなり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されて通院を繰り返している。新聞報道で知った(松永と緒方が起訴された事件についての)冒頭陳述の内容は、正に、自分たち家族が被害に遭った状況と同じだった〉

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 この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。

完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件

小野 一光

文藝春秋

2023年2月8日 発売