起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第42回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

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10年近く行方不明だった岩見国男さん(仮名)を訪ねて

 そこは山村にある街道沿いの、廃屋かと見まがう木造家屋だった――。

 某所に岩見国男さん(仮名)が住んでいるらしいとの情報を得たのは、2002年6月のこと。彼は1989年に福岡県山門郡に『有限会社M企画(仮名)』を設立し、後に松永太と緒方純子を取締役に据えている。妻子とも別れ、会社を破綻させた岩見さんは、10年近く行方不明とされていた。

 その岩見さんについて、「××という集落にいるとの話を聞いた」との情報をもとに、現地で聞き込みを重ねたところ、この家屋に移り住んだ人物がそうではないか、との有力情報にたどり着いたのである。

 引き戸をノックしたところ、返事をして姿を見せたのは、白髪のヒゲを長く伸ばした、仙人かと見まがうような初老の男性だった。

「ようこんなところまで来ましたね」

 そう口にしながらも拒絶する様子はなく、家の中に入るように促された。そして訥々と語り始める。

「会社の資金繰りに困ってる話を知り合いの女性に話したとき、松永を紹介されたんです。(福岡県柳川市)矢加部にあるビル(ワールド本社ビル)に行って松永に会ったんですが、ソフトな口ぶりで、やり手の実業家という印象でした。事前に聞いていた話では、金貸しだということだったんですけど、カネは貸してもらえず、その場ではアドバイスを受けるだけで終わりました」

高圧的だった緒方

 そこで松永から、会社を立て直すために、実務的なことは彼女の言う通りにしてくれと言われ、緒方を紹介されたのだという。

幼稚園勤務時代の緒方純子(1983年撮影)

「緒方は松永のことを所長と呼んでいたのですが、彼女はなにかにつれ、『所長はあんたのことを考えて一生懸命動いてるんだ』と言って恩を着せてきたうえで、私にあれやこれやと言いつけていました。

 ある時など、会社(ワールド本社)の一番奥の机に電話帳を置かれ、『片っ端から電話して借りれるだけカネを借りな』と言われ、一日中消費者金融に電話をかけさせられたこともあります。それで私がカネを借り、店の外で待っている緒方に現金を渡すのです。彼女はいつも高圧的で、そのときもカネを受け取るのが当たり前だという態度で受け取っていました。緒方は言葉遣いも乱暴で、私が別の用で会社に行ったときなど、どこかの金融機関の人と電話で喧嘩をしていて、『てめぇー、ただじゃおかんぞ』と大声で叫んでいました」