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「あ、ああ〜」と叫び声を挙げ… オウム真理教・井上嘉浩が無期判決に見せた“歓喜”とは

『私が見た21の死刑判決』より#21

2021/01/16

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

note

「無期という生を与える選択」

 これまでになく一番厳しい言い方だった。井上がきちんと証言台に立ったのを見据えて、裁判長はこう付け加えたのだ。

「裁判所がこの判決にあたって、一番心にとめたのは、被告人らの残虐非道な犯行によって命を奪われた多くの方々、被害者とその家族の方々のことです。この法廷でも数多くの被害者、遺族の述べた憤り、悲しみ、苦痛、涙、それになんといっても被告人に対する厳しい言葉、激しい怒りが、裁判所の心を強く打ちました。審理を通じて判決に至るまで、そのことが裁判所の心から離れたことはありませんでした。ただ、裁判所としては、被告人が何よりそれを自分のこととして痛切に感じ、苦悩し、深く心に刻み込んだものと認め、各犯行の中にあって、わずかであれうかがうことのできた被告人の人間性を見て、無期という生を与える選択をしました。

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 無期ですが、被告人に与えたのは、決して自由な日々でも、修行の日々や瞑想を送る日々でもありません。これからは自分たちの犯した凶悪な犯行の被害者のことを、一日、一時、一秒たりとも忘れることなく、特に宗教などに逃げ込むことなく、修行者でなく、一人の人間として、自らの犯した大罪を真剣に恐れ、苦しみ、悩み、反省し、謝罪し、慰謝するようにつとめなければなりません。そのためには、プライドとか自尊心とか傲慢さとか思い上がりとか、被告人が本件に関わるようになった全てを捨て去って、一人の素直な人間として、謝罪の日々を送らなければなりません。当裁判所が被告人に与えようというのは、そのような一時一時です。片時たりとも贖罪の気持ちを心から消し去ることのないように求めます。わかりましたか」

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 わからなかった。少なくとも、ぼくにはわからなかった。

 もし、この裁判長のもとで、人格優秀と褒めたたえられた林泰男や豊田、廣瀬が裁かれたのなら、果たして彼らは極刑を免れたものだろうか。