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初の写真甲子園で受けた「衝撃」

 そうして出場した初の写真甲子園。そこでの出来事は、いまでもよく覚えているという。

「沖縄に浦添工業という写真の強い学校があるんです。実は僕、その年、初出場ですけど優勝できると思っていったんですよ。ほんだら、その学校の写真を見たらもう、全然違って。『あ、これはちょっと勉強せなあかんねや』と思って。なんやろ…率直に感動したんですね」

「初の写真甲子園で衝撃を受けた」と語る恵納教諭 

 そこにあった浦添工業の写真は、これまで自身でやってきた「写真を撮る」という作業とは、根本から違っていたそうだ。

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「写真にストーリーがあったんです。例えば、被写体があの椅子に座っていたら、普通に考えたらレンズの方を向いているべきじゃないですか。ところが浦添工は、座っている子が反対側を向いているから、顔が写っていないんですよね。普通は『こっち向いてください』っていって、ニコってしたとこをパチッと撮るんでしょうけど、そうやないんですよ。その写真見た時に、もうちょっと知らん世界があるんやなぁと思って」

 そこからは、本腰を入れて写真の勉強を始めた。

写真を撮る際に最も大事なこととは?

 最も重要だと感じたのは、技術以上に、写真で何を伝えたいのかという「意思」を撮る側が明確に持つということだ。

 

「写っている部分が花だとしたら、その根っこの部分で何を言いたいのか。それで写真は変わるんやなと。根っこの部分も含めて、全体で表現になる。その表現に新しさがなかったら、あかんのです。そのうえで、独りよがりになってもあかん。見る側に正解を押し付けすぎてはダメなんですよね。

 さっきの椅子の話で言えば、被写体が向こうを向いている方が、見る側が『どうして向こうを向いていて、この人どんな顔しているんやろ?』ってひとつじゃない答えを想像するでしょう。そういう風に『何をどうやって撮って、何を伝えるのか』と考えると結局、量を撮らないとはじまらないんです」

 受け取る人にどういうストーリーを提示したいのか。一方で、そこにどれだけ“遊び”を残すことができるのか――。その微妙な感覚は、数を撮ることでしか見えてこないのだ。