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「私も父といっしょの電車に乗っていたからです」

 それから、丸ノ内線で父親を亡くした女性がやってきた。

「父は、心の柱です」「大好きです」

 という彼女は、事件当日の父の朝の行動を逐一正確に証言してみせた。何時何分の電車に乗って、何分の連絡列車に乗り継いで──と、詳細に分単位で報告している。さすがに検察官が、なぜそこまで細かくわかるのか、と尋ねると、彼女は迷わずこう答えた。

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「私も父といっしょの電車に乗っていたからです」

©iStock.com

 半年ほど前に手術を受けた父親の身体を気遣って、娘はいつも父と同じ電車で通勤していた。──そう、のちに井上嘉浩に向かって一喝してみせるあの女性だった。その彼女が、最初の証言に臨んだのも、土谷の公判だった。

 事件の日の朝も父といっしょに家を出て、途中駅まで同じ電車に乗り込んでいた。

「父が寝ていたので、降りることを知らせるため、突ついて『じゃ、降りるね』『わかった。気をつけてな』と。降りても、私のほうを見ていて……」

 それが、最後の別れとなった。

 昼過ぎに、彼女の勤め先に、父の勤務先から電話が入った。お父さんが電車に乗っているときにガス事故に巻き込まれたらしく、東京女子医大に運ばれた──。

「目の前が真っ暗になりました。病院へ行くため、タクシーに乗りました。とても熱かったのを覚えています。天気が良く、運転手さんがラジオをつけてくれました。被害者の名前を読み上げていて、私は、父の名前が呼ばれないことを祈っていました」

 父にはすぐに会えた。集中治療室でまわりを機械に囲まれた中で、身体中に管を通されて、まったく動かないままだった。