原稿を書く前にDVDや配信で作品内容を確認している。購入の際は自腹で、使っているのは大半がアマゾンだ。
そのためアマゾンのAIが購入履歴から割り出したと思しき「あなたへのおすすめ」の欄は、旧作邦画のDVDで埋め尽くされている。それを眺めながら、「次はどれを取り上げるか」と考えたりもする。
たいていのタイトルは既に観たことがあるのだが、時には「え、こんな映画もあったの?」というような、観たことがないどころか存在すら知らない作品もある。
今回取り上げる『村八分』も、そんな一本。恥ずかしながら、こういう映画があることを知らなかった。それだけに、アマゾンの「おすすめ」欄を見て、この強烈なタイトルが目に飛び込んできた時は大きな衝撃を受けた。これは早く観たい――そんな想いに駆られ、すぐさま購入した。
村社会の閉鎖性をテーマにした作品は洋の東西を問わず見応えがある。加えて、プロデューサーに山田典吾、脚本に新藤兼人、演出補導に吉村公三郎、撮影に宮島義勇。一九五〇年代に幾多の名作映画を送り出してきた独立プロの雄たちが顔を揃える。中原早苗、乙羽信子、藤原釜足、菅井一郎、浜村純、山村聰とキャストも充実。満々の期待感でDVDの到着を待った。
そして早速、実際に観たところ――その内容は期待を遥かに上回るものだった。
舞台は静岡県の農村。高校生の満江(中原)は、参議院補欠選挙での組織ぐるみの不正を知ってしまう。満江はそれを新聞に投書、現地の通信記者(山村)が取材を始める。
「正しいことが何でも通る世の中なら世話がねえ!」と娘の行動を叱る父(藤原)に「世の中は良くなる」と語る満江。警察が動いたことで、ほとんどの村人は罰金刑になる。恨んだ村人たちは満江の一家を徹底的に除け者にした。無視するだけでなく、商店ではつけ払いを断られ、耕耘に使う牛馬も使えない。一家は次第に追いつめられていく。
打ちひしがれた満江の父を演じる藤原釜足がいい。あまりに沈痛な面持ちと、娘に食ってかかる際の悲しさと苛立ちがないまぜになった表情が、その仕打ちの凄惨さと絶望感を生々しく伝えてくる。
将来に救いを感じさせる展開は、最後にある。作り手たちは次の若い世代に望みを託す。
「正しくないことを正しくないと言っただけで周囲から迫害されるなんて、そんな不自由な世の中に、僕たちは黙っているわけにはいきません」一人の生徒は全校集会でそう言って、決起を促すのだ。
それから約七十年を経た現在、我々はどうだろう。今こそ受け止めたいメッセージだ。