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授業でお話を書く機会があり、これはおもしろいと

「『推すという行為を認めよ』と主張をしたいというよりは、そういう現実をしっかり描写したいという感覚です。推しを推すことに人生をかけて、なんとか生きづらさをしのいでいる現実を、ちゃんとその通りに書くことができれば、きっとそれが『理解』につながるんじゃないかと私は思っています。

©文藝春秋/松本輝一

 自身にとっても切実なものと、正面から向き合っているのであろうことは、宇佐見作品を読む側にもひしひしと伝わってくる。ときに、その切実さを、小説で表そうとすることとなったのはなぜだったろう。

 小説を書くことが「自分の背骨」とまで言い切るようになった経緯は?

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「私の場合、小さいころから小説がいつもそこにあった、という感じです。

 小学3年生のとき、授業でお話を書く機会があって、これはおもしろいと続けるようになりました。中学生になると、書いたものを友達と送り合ったりするようにも」