昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

“成長”できると信じて

 元メンバーAが語った組織での「自己研鑽」について、逮捕されたほかのメンバーたちの裁判からも、その様子を窺い知ることができた。

 初公判の日、廷内に現れた彼らは、みな整った顔立ちをし、黒や紺のスーツに身を包んでいた。グループでは、仕事着にジャケットスタイルを指定していたというから、当時の彼らもこのような姿だったのかもしれない。被告人の席に着いた彼らは、緊張しているのか、表情はやや強張っているように見えた。傍聴席から向けられる視線を避けるように、常にどこか一点を見つめていた。

 公判が始まると、学生たちは罪を認め、女性たちに対して謝罪の言葉を口にした。そのうえで、「違法性の感覚が麻痺していた」「捕まらないと思っていた」などと語った。

 裁判官や検察官が「なぜ仕事を続けたのか」と問うと、「金が目的だった」と答えたが、加えて「普通のバイトでは経験できない、厳しい上下関係を学べると思った」「社会に出ても礼儀作法は生かせると思っていた」と“成長”が目的だったと語った。

©iStock.com

 また、中には「倫理観より、目の前の数字ばかり見ていた」「仲間といられて楽しかった」という者もいた。

 印象的だったのは、組織のナンバー2で店長のY(自身も学生時代から組織に所属)だ。彼は、「(所属するメンバーたちには)普通の学生では経験できないようなことを経験し、起業や就職など次のステップへ進んでほしかった」

「組織が大きくなっていくのが見たかった」

 と話し、育てることや組織の拡大に喜びを感じていたと語った。

 法的にも倫理的にも許されない行為をしながら、「成長のため」と語る彼らの言葉に、裁判官をはじめ、傍聴席にいた記者たちは皆、「理解しがたい」という表情を浮かべていた。廷内には異様な空気が流れていた。

 ただ、取材に応じた元メンバーAの話を重ね合わせると、ナンバー2のYをはじめ、学生らは「成長できる環境」がグループにはあったと、本当に信じていたのだろう。その歪んだ価値観が、わずか1年の間にのべ262人の女性を風俗に送り込むという、グループの暴走を生み出したように思えた。