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松任谷由実、槇原敬之、藤原基央…名プロデューサーが語る人気アーティストの“ある”共通点

『プロデュースの基本』より #2

2021/02/10
note

 大野克夫さんも、そういう意味で裏切ることができる人でした。阿久悠さんが沢田研二の「サムライ」の歌詞を書いてくれて、それをはじめて見たとき、僕の頭のなかにはハードロックが鳴っていました、それもギンギンのね。それで大野さんにお願いしたら、なんとバラードをつくってきたんです。

多くの人に受け入れられる曲の条件

 大野さんのなかで、相手のイメージの逆をつく曲を書くことに喜びを感じていたんでしょうか。それで相手を納得させたいというチャレンジ精神もあったのかもしれませんが、詩に寄り添わないことが多くの人に受け入れられる曲になるとわかっていたんだと思います。

 年齢とともに感じることですが、ずっと同じやり方では長く続きません。詩をつくる人、曲をつくる人との接し方にしても、若いころと同じでは仕事が成立しないんです。

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タメ口と敬語で気づいたこと

 あるとき打ち合わせに僕が遅れて行ったら、僕のアシスタントだった福岡くんと作詞家の康珍化さんが、山下久美子さんの制作について話し込んでいたんです。しばらくそれを聞いていて、ふと思ったのが「あ、康くんって僕に敬語使ってたんだ」ということでした。

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 ふたりがタメ口で話していたから気づいたことなんです。そのとき、僕はすごく考えましたね。自分としては対等に、タメのつもりで話しているんだけど、相手は年上の人に対する言葉で話していたんだな、と。これは、いろんなことを変えないといけないなと考えるきっかけになりました。

 そのとき、僕は30歳を超えたぐらいでした。僕の尊敬する坂本龍馬が没したのと同じぐらいです。それで、今までの自分を葬ってやり方を変えようと思ったんです。まず包容力を身につけないと年下の人はついてこないよな、嫌われちゃうよなと思いました。

 僕は、こうやりたいああやりたいという想いが強くて、ああしてくれこうしてくれと周りに押し付けるようなところがあった気がします。けれど、相手の言うことももっと聞かなくてはいけないと意識するようになりました。このままじゃ誰も一緒に仕事をしてくれなくなるんじゃないかと不安になったんです。それで少しずつ意識改革をするようにしたんですね。