70代にしていまだ現役。日本のポップスシーンを引っ張り続けている名音楽プロデューサーの木﨑賢治氏が初の著書を出版した。タイトルは『プロデュースの基本』。自身のこれまでの経験から生み出した“仕事の法則”を惜しみなく披露した一冊で、発売から好調な売上を記録しつづけている。

 そんな木﨑氏がプロデュースしたアーティストの一人が沢田研二だ。グループサウンズ全盛期から活躍を続け、ソロデビュー後は人気がさらに飛躍。ポップスの一時代を築き上げた彼の名を知らない人はいないだろう。なかでも有名な一曲といえば、第19回日本レコード大賞を受賞した「勝手にしやがれ」だ。

 ここでは『プロデュースの基本』を引用し、「勝手にしやがれ」が誕生した際の秘話を明かす。(全2回の1回目/後編を読む)

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90年代に尾崎豊のようなラッパーがいたら

 僕らの仕事は、他にない音楽をつくること。今すでにいるアーティストや音楽を真似してもしょうがない。何でもいいから一味違う音楽をつくったり、バージョンアップしたアーティストを育てたりしたいです。

 槇原敬之くんがデビューしたときは、世の中は空前のバンドブームでした。ちょうど「いか天」(TBS系「三宅裕司のいかすバンド天国」)が流行っていたころで、僕らの周りでもデビューさせるためにバンドを探している人がたくさんいました。でも、だからこそ逆に、ピアノを弾きながら歌うソロシンガーというのはいいなと思ったんです。

 僕はその時代に流行っている音楽やアーティストじゃなくて「こういう人が今、世の中に現れたらおもしろいな」ということをよく考えます。

 たとえば、80年代に尾崎豊くんが出てきたわけですが、その10年後の90年代、尾崎くんみたいな感じの人がシリアスな顔つきでヒップホップをやっていたら、おもしろかったんじゃないかなとか。そう思っていると、そういう人に巡り会えることも多いから、いつもそんなことを考えていたいですね。

 最近でいうと、世の中にないものをやられたなと思うのは KingGnu。ここしばらく健康的でいい人っぽいイメージのバンドが多かったなかで、ちょっと不良で退廃的でロックなアプローチをしてきたのはすごいなと思います。それに、彼らはパフォーマンスができるアーティストでもありますよね。動きがあるから、見ていて飽きないんです。

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 もちろん、音楽にはいろんな楽しみ方がありますから、動きが大きければいいというわけでもないんですが、一時期に比べると今はやっぱり目で楽しめる、パフォーマンスができるアーティストが求められているのかなと思います。

時代によって変化するグルーヴ

 僕が最近特に楽しいなと思ったのは、エド・シーランのライブ。何より、ペットボトルの捨て方がよかった。ステージで飲んだあと、無造作にポーンと放り投げるんです。それが気になって気になってしょうがなかった。ペットボトルが気になるなんて僕だけかなと思っていたら、ライブに行った知り合いに聞くと、みんなけっこう気になっていたみたいなんですよね。

 やっぱり、イメージと違うから気になるんです。エド・シーランなら丁寧に置くだろうなって、そういうイメージなんですよ。豪快にポーンと投げ捨てる感じが、アコースティックギターを弾いている人じゃないなっていう、要するにギャップを感じたから気になったんでしょうね。

 ギャップは人を感動させる要素です。ビッグになるアーティストや音楽には必ずあります。

 音楽だから、本来は耳から入ってくる音が大事なはずなんですが、実は目から入ってくる情報のほうが影響力が大きいんだと思います。