70代にしていまだ現役。日本のポップスシーンを引っ張り続けている名音楽プロデューサーの木﨑賢治氏が初の著書を出版した。タイトルは『プロデュースの基本』。自身のこれまでの経験から生み出した“仕事の法則”を惜しみなく披露した一冊で、発売から好調な売上を記録しつづけている。ここでは同書の一部を引用。優れたアーティストに共通する“ある”特徴を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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寄り添わない詩と曲

 沢田研二の「勝手にしやがれ」は大野克夫さんに曲をお願いしました。でき上がったとき、詩を書いた阿久悠さんに呼ばれて「この曲で大丈夫なの?」と聞かれたんです。

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 デモテープはナイーブでちょっとはねている要素の入った16 ビートの曲でした。おしゃれだけど地味な感じに聴こえたんでしょうね。「これを8ビートに変えて、弾けたアレンジにしようと思っていますから大丈夫です」と言って納得してもらいました。阿久さんは歌詞を書きながら、きっと曲のイメージをしていたんでしょうね。大野さんの曲がそれとあまりにかけ離れていたから、不安になったのかもしれません。

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 僕は、ナイーブなメロディに弾けたサウンドというギャップ、情けない詩に弾けたサウンドというギャップ、ロマンティックでセクシーなジュリーに現実的で情けない詩という複雑なギャップがいい結果を生むことになったんだと思います。

 僕が知ってるアーティストのなかでは松任谷由実さん、井上陽水さん、槇原敬之くん、藤原基央くん(BUMP OF CHICKEN)、みんな自分のなかにギャップを持っている気がします。

 どこかに二面性、あるいは多面性を持っているんでしょうね。自分の詩に対して違う角度からメロディをつけられるんです。けっして同じ角度で寄り添わない。

 BUMP OF CHICKEN の仕事を始めたころ、藤くんにある詩を見せられたとき、ちょとクールだなと感じたことがありました。ところが、メロディがついたらすごく優しさが滲み出てくるんですね。詩の裏側にある真実が見えてくるんです。「曲がついたら優しい感じになったね」と言ったら、「そうでしょう」と答えたときの笑顔が印象的で今でも覚えています。

客観視できるひねくれ者

 槇原くんも、オケをつくりながら自分で書いた曲のある部分に来ると、決まって笑いころげたりしていました。「この人、よく言うよね」って自分のつくった詩にツッコミを入れたりして。

 自分で「ここまで言わないとわからないよね」と思って書いている詩を、つい客観的に見て笑ってしまうところがすごいなあと思っていました。

 才能のある人は、他人の目にはどこかひねくれていたり、クセが強く思えたり、あまのじゃくだったり、意地が悪く見えたりするみたいですね。僕にはすごく素直でピュアな感じに見えるんです。いいところも悪いところも全部さらけ出せるんですから。