クリエイティブな仕事の基本
音楽制作の仕事を始めてからはアーティストもそういう視点で見るようになりました。実際、ギャップがある人には深みを感じますね。魅力的に見えます。
昔のテレビドラマのある有名なプロデューサーも、キャスティングをするときに役柄と正反対のイメージの役者を起用すると役に広がりが出ると言っていました。その話を聞いて、やはりクリエイティブな仕事の基本のひとつがここにあると思ったんです。
謹慎翌年の「勝手にしやがれ」
沢田研二の「勝手にしやがれ *1」(1977年)は、全体的に情けない歌詞なのに、それまでになく男らしい曲になりました。ギャップがいい形で表れた曲です。
*1 引用歌詞 シングル「勝手にしやがれ」(作詞・阿久悠)1977年5月ポリドール
彼が事件を起こしたことがありました。当時二度にわたる“新幹線暴行事件”として世間を騒がせましたが、事実はどうあれ短期間に2回も不祥事を起こしたので、彼は自ら1カ月の謹慎を会社に申し出たんです。この年は年末の歌番組なども出ていませんでした。
事件から約1年後にリリースする復帰後第3弾シングルの作詞を阿久悠さんにお願いしました。そのとき、阿久さんがこう言ったんです、「『勝手にしやがれ』っていう曲をつくりたいんだよ」と。
驚きましたね。だって「勝手にしやがれ」ですよ。いくらなんでも謹慎明けから1年も経たないうちに「勝手にしやがれ」はないだろうと思ったんですが、阿久さんはもしかすると最初からそこを狙ったのかもしれませんね。
でも、仕上がった詩を見たときに、沢田さんはこれをうまく歌えるか不安に思いました。それまでは2枚目でロマンティックなイメージのカッコいい歌ばかりを歌ってきたのに、「勝手にしやがれ」は、フラれて空虚なはしゃぎ方をしている情けない男の歌でしたから。
詩に描かれた主人公は、下北沢で飲んでいるときのふだんの本人に近いイメージでしたね。これはスターのジュリーじゃなくて本人そのもので、だからこの歌にはファンタジーとか夢が描けないんじゃないかと心配になったんです。
そして何より、歌詞の最後の「♪ワンマンショーで」という言葉がすごくあざとく感じたんです。ちょっとカッコ悪いな、と。それまでの沢田さんの歌い方を想像すると、情けない雰囲気になってしまうんじゃないかと危惧しました。
とはいえ、この詩自体はどこも直すところがない完璧なものだったので、言葉尻を変えても意味がないと思ったんですよね。だからいっそのこと、新しい詩を書き下ろしてもらいたいと思ったんです。