ハルピンよりもロシア国境に遥かに近い詩織の故郷
私は馬の説明を聞きながら夕日に照らされた鳥羽口の侘しい街並みを眺めていた。多分、幼い詩織は、文房具や洋服、食べ物を買う時だけ徒歩か馬車でこの街までやってきたのだろう。そんな時は、決して清潔とはいえない小さな店のターキーを買ってもらったかもしれない。そうした意味では、ここも詩織の故郷なのだ。
馬の説明によれば、白丸という集落は貧しい田畑の中に、日乾し煉瓦の農家が点在する山間地域で、二間から三間ほどの狭い家に多くの家族がひしめいているという。そして一寸した買い物にも、この街まで出てこなければならない辺鄙なところだという。今は詩織のゆかりの家もなくなり、親類も、もう誰もいないということは詩織の説明でも分かっていた。
「今晩中に義兄の何さんにも会わなければならないし、諦めるしかないようですね」
私は馬に言った。何しろ、東京から直線距離にして約2000キロ、ハルピンからでもいくつもの山や峠の悪路に悩まされ、既に300キロを越えている。ここ鳥羽口はハルピンよりもロシア国境に遥かに近い所なのだ。これ以上、馬や運転手に無理をお願いするのは、時間的にも経費的にもできない。
「ここで戻りましょう。でも、その前に、この街に、かつて日本人が住んでいた建物や墓のようなものはないかどうか、もう一度、街の人に聞いてくれませんか」
馬が、再び、街の男たちに質問してくれたが、答は、はかばかしいものではなかった。もう少し離れた所に、日本人の墓があったらしいと聞いたことはあるが、今は何も残っていないという。
そうこうしていると、方正県の方から、溢れるほど大勢の乗客を乗せたトラック風バスが、盛大に砂塵をあげて街に入ってきた。
23年前、詩織も、あんなバスに乗って、この街を出ていったのだろうか。
時間も午後4時近くだ。ここからUターンして義兄の何が住む五常市まで行かなければならない。私は、詩織がかつて買い物に来たとき、横切ったかもしれない集落の中心部をもう一度見渡した。それから街の男たちが日本人の墓があったらしいと指さした方向に向かってそっと合掌した。彼ら満蒙開拓団の悲劇を私たち日本人はけして忘れてはいけないのだ。
「では、五常市に向かいましょう」