西部劇映画で見るような埃っぽい街
再び車の腹底を削るかのようなワイルドロード。そして代わり映えのしない貧しい山間風景。
北京のホテルを早朝5時に出てから、既に10時間近くたっている。さすがに疲れが出たのか、私はついうとうとと居眠りしてしまった。その間、30分ぐらいだろうか。
「先生、着きました。目的の鳥羽口です」という馬の言葉で目覚めた。
いままでの集落より、少し大きめな、そう西部劇映画で見るような、荒々しく侘しい埃っぽい街が広がっていた。
幅員10メートルはあろうかと思われる道路が中央を貫き、両側に飲食店や雑貨屋、床屋、食料品店など古びたバラックのような店が並んでいる。ターキーを売る店の前には、9月になっても、まだ暑いためか、上半身裸や汚れた半袖シャツ姿の眼付の鋭い男たちが数名イスに座っていた。だが、私たちの黒塗りハイヤーに気付くと、俄かに活気付き、私たちの方を指さして口々に何か叫ぶ。
馬が彼らのところに行って話し始める。
私も、砂埃の舞う道路に降り立ち、ゆっくりと周囲を眺め廻した。
殺風景というのが第一印象だった。家々はみな古く、中には壊れかけているものもあった。遠方に見える樹々も夏の終わりのせいか、疲れ果てたような緑で妙に埃っぽかった。そして時おり風向きにより草いきれの匂いがする。
東京を出るとき、詩織は面会室でこう言っていた。
「私の故郷は鳥羽口。厳密にいうと鳥羽口・白丸。川が流れていて緑がいっぱいで、小さいころは、そこで水遊びなどして遊んだ。近くには畑や山があって。鳥がいっぱいいて。あのころには戻れないけれど、楽しかった」
詩織が語った白丸という村落は、ここから、もう少し奥にいったところのようだ。詩織は私への手紙でもこう書いていた。