起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第43回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

◆ ◆ ◆

ADVERTISEMENT

松永の愛人のひとりだった絵里子さん(仮名)、当時19歳

 1980年代の後半から90年代の前半にかけて、松永太は多くの女性を愛人にし、彼女たちの名義で金融機関に借金をさせるなどして、会社を維持する資金としていた。松永の布団訪問販売会社・株式会社ワールド(以下、ワールド)の元従業員だった山形康介さん(仮名)によれば、なかには後に自殺した女性もいるということはすでに記した。

 そんな、松永の愛人のひとりだった女性がいるとの情報を得たのは、2002年10月のこと。当時、私は福岡県の筑後地方に住むその女性の元を訪ね、直接話を聞いている。

 絵里子さん(仮名)は取材時33歳。松永と出会ったときの年齢は19歳とのことで、逆算すると時期は1988年ということになる。その頃、彼女は福岡県柳川市内にあったラウンジで働いており、客としてやって来た松永から席に呼ばれたことが、交際のきっかけだった。猫系のコケティッシュな顔立ちの彼女は、ややハスキーな声で言う。

「店のママから『いいお客さんだから』と言われ、会社の部下や仕事相手と一緒に来ていた松永の横につきました。スーツにネクタイという姿で、髪型は普通。悪い人には見えなかったというのが、正直な感想です。それに、一緒に来ていた仕事相手の人というのが、地元ではけっこう名士の方たちだったんです。銀行の支店長とか支店長代理とか。そういうこともあって、若いのにヤリ手やなあって思いました」

©️iStock.com

「私が入る日に合わせて来てくれて」「悪い気はしませんでした」

 それからというもの、松永は店に顔を出すたびに、絵里子さんを席に呼ぶようになったという。

「4、5カ月経ってから、ちょうど私の20歳の誕生日がもうすぐだという話になったんですね。そうしたら松永に『じゃあ、お祝いしなきゃね』って何回か言われて、デートをしました。ふたりで会うと、わりと語る人なんですよ。夢を持ってる人って印象です。向こうもまだ27歳くらいで、事業展開の話を熱く語っていました。それで私、けっこう感動してしまったんです」