半年ほどのうちに2500万円から2600万円に
それだけならば、100万円といくばくかで終わる話だが、そこから堰を切ったように、次々と絵里子さんに協力を求める依頼が入るようになった。
「そのときは松永本人からではなく、彼の意を受けた緒方から連絡が入るようになってました。それこそ昔お世話になった××さんが事故で会社が大変だからとか、高校の先生の××さんが困っているからとか、あとほかには、もう憶えてないですね……」
その総額は、半年ほどのうちに2500万円から2600万円にまで膨らんでいたというのだから、驚くほかない。
「なんか、全然考えてなかったんですよね。頼まれて断りきれなかったっていうのもあるし、(トラブルの内容が)手形とか小切手とか、ぐしゃぐしゃで、だんだん金銭感覚がなくなってきていて、そこに緒方から、『(世話になった)××さんが大変だから、なんとかしなきゃいけない』とかって言われて……」
当時、絵里子さんは昼の仕事に就いていた。そこで安定した収入があるとはいえ、年若い女性に、金融機関が無担保で大金を貸すものなのか訝った私が尋ねると、彼女は答えた。
「……(高額な)ピアノを買うっていうことにしたので。保証人が松永の知り合いの銀行の支店長さんだったこともあって、決裁が下りたんです」
毎月の返済については緒方が担当
借り入れの金額が増えるに伴って、いつしか松永が絵里子さんの前に顔を出すことは減り、絵里子さんは緒方とばかり話をするようになっていた。
「かなり金額が膨らんできて、毎月の返済については緒方が担当していたんですけど、滞るようになったんです。そうすると名義は自分なんで、私の元に返済を求める通知が届きますよね。個人名で勤め先に督促の電話がかかってくることもありました。名義を貸すだけで、向こうが払ってくれるという話だったから、私が緒方に電話を入れて抗議すると、最初のうちはすぐに払ってくれてたんです。それで私が、『そんなにちゃんとやってくれないんだったら、太(松永)に話す』って。そうしたら緒方が、『(松永には)内緒なんで、それは困る』みたいなことを言ってて……」
だが、日増しに絵里子さんに対する借金の督促は増えていった。そんなある日、彼女は驚きの光景を目にすることになる。
それは、絵里子さんが自分の名義での借金を始めてから約半年後。1992年10月のことだった。