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「ユーモアと社会は切り離せない」占領下の生活を“悲劇”として描かない理由

『天国にちがいない』――エリア・スレイマン(映画監督)

2021/01/29
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 無人のパリでぼんやりと佇む男。ニューヨークの学校で途方にくれる男。映画監督だという彼は、様々な場所を訪ねては無言で周囲をじっと眺めている。その様子はまるでバスター・キートンかジャック・タチのよう。

 この不思議な映画は、パレスチナ系イスラエル人の映画監督エリア・スレイマンの10年ぶりの新作『天国にちがいない』(1月29日公開)。長編デビュー作『消えゆく者たちの年代記』(1996)や、日本でも公開された『D.I.』(2002)、東京国際映画祭で上映された『時の彼方へ』(2009)といった過去作同様、新作でもスレイマン監督自ら主人公を演じ、映画監督として見聞きする奇妙な体験を紡いでいく。これまで出身地ナザレで家族や近所の人々を題材にしてきた監督だが、新作の舞台はナザレからパリ、ニューヨークへ広がり、その視線はパレスチナの外へと向かう。

エリア・スレイマン監督

人々の頭の中には、パレスチナについての固定観念が強くある

――過去の長編3作品は、監督の故郷であるパレスチナを舞台にしていますが、新作『天国にちがいない』では、監督が演じる主人公は出身地ナザレから遠く離れたパリやニューヨークへと飛び出していきます。その理由を教えていただけますか。

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エリア・スレイマン 映画には、私自身が日々体験する様々な事柄が反映されています。だから新作の舞台がパレスチナの外になったのは当然とも言えます。私はこの数十年パリやニューヨークをはじめずっと外国で暮らしていますから。パレスチナには撮影やその準備のために訪れ長期間滞在してはいましたが、私自身はもう長いことこの地の住人ではなかったわけです。だから今回あえて国外に飛び出したというよりも、過去作でも本来は外国を舞台にするべきだったと言えるかもしれません。

 それともう一つ、私はずっと映画において普遍性を追求したいと思っていました。よりグローバル化していく現代社会で、どこか一点から世界を眺めるのではなく、カメラと一緒に旅するように撮ってみたかった。実際、場所によってユーモアの感覚や人の身体的な動きは異なります。ニューヨーク的なものもあればパリ独特のユーモアもある。でもどこへ行っても結局は変わらない。そうした現実を個人の視点で見つめてみたわけです。