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状況によって捉え方を変えるストライクゾーン

 ところが、ぼくにはそのときの状況で、このストライク・ゾーンはボール100個をおさめるくらい広くなるし、30個ぐらいに縮まったりする。

 投げるほうにしてみれば完全なボールでも、ぼくから見るとそれはストライクということなのだ。もちろん4、50センチうしろで見ているアンパイアにも、ベンチの目にも、大きくいえばテレビで見ているファンの目にも完全なボールでも、ぼくにはストライクになる場合があったわけだ。

 ヤマをかけて打っていたわけではない。

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 いまどきどんなピッチャーでも、4、5種類のタマは持っている。そのタマにいちいちヤマをかけていたら、的中する確率はせいぜい2割がいいところだろう。それじゃとても3割は打てない。ぼくの場合は、アウトコースかインコースかに、的をしぼる程度だった。だから、ヤマカンで打っていたわけでもない。

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 ぼくは、相手の投球動作と同時に、アタマのなかにバッテリー間の距離を改めて刻みこむことにしていた。調子の悪いときは、この距離が半分くらいにみえ、あっという間にボールがくる。アウトコースはよくボールが見えなくなるものだった。

 ぼくは打席で構えたとき、相手が投げてくるボールの白い表面ではなく、そのなかに包みこまれているコルクのシンの真ん真ん中をいつもねらった。生きた打球を打つには、この“真ん中の真ん中”をつねに打ち抜くつもりでなければむずかしい。

ノーマルだったらやられてしまう

 それだけを考えていると、たとえコースが多少はずれていようが自然にバットがでていく。相手がピッチャー1人じゃなく、9人と戦っているのだから、多少アブノーマルであろうが、勝たなくてはならない。ノーマルだったらやられてしまうのだ。

 “鬼神もこれを避く”、というとオーバーだが、たとえボールに見えるタマでも打ち抜いていくというところが、プロフェッショナルの真髄じゃないかと思う。見せる要素、ファンにうける要素としては、そういう規格はずれのバッティングがあってもいい。

 ただ、そうなるためにはイージーな練習をやっていてはダメ。激しい、激しい反復練習があってのみ、こういうアブノーマルな真似もできたのだと思う。