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長嶋式打撃術

 3割4分4厘で首位打者となった41年の夏、ひとりで多摩川へでかけていって打ちこみをやった。

 当時、ドジャースからきていたマイヤーズ・コーチ(故人)にいわれて、うんとアゴを深く引き、視線をマウンドのピッチャーズ・プレートに合わせたことがある。低目の変化球をうんと引きつけて打つためのテクニックで、このときカカトの部分に薄いスポンジを貼りつけた特製のスパイク靴も使ってみた。このスパイク靴を使って踏みだすと、左足がステップ・アウトしないらしく、大リーガーでも使う人がいるということだった。

ピッチャーによってヘルメットの被り方を変える

 ぼくはヘルメットのヒサシをわりに深くかぶるほうだった。

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 これも自分で考えだした、ヘッド・アップを防ぐテクニックの一つで、あるときは深く、あるときは浅く、その日の相手ピッチャーのタイプ、自分の調子によってヒサシの角度を“調整”した。ヒサシが1センチさがると、目も1センチさがり、アゴがやはり1センチ締まる。バットのシンと、ボールのシンとをピタリとどこかで一致させるためには、ヘルメットでさえ味方にしなければならないわけだ。

©iStock.com

 ヤクルトの安田(猛=元ヤクルトコーチ)やジョーこと城之内(邦雄)は、かなりヘルメットや帽子をアミダにかぶるタイプだが、あれはあれでマウンドの上の緊張感を柔らげて、ピッチングに集中するために、有効なのかもしれないと思う。

 “8時半の男”といわれた名ファイヤーマン・宮田(征典=元巨人)は、バッターの呼吸を盗む名人だった。

 盗む、というと語弊があるが、要するにバッターが呼吸するわずかな肩の動き、胸の筋肉の上下でタイミングをはかり、フッと息を吐きだす瞬間をねらっていた。

 宮田には44年の日本シリーズの前に、フリー・バッティングに投げてもらったことがある。