岡村 髙村さんにとって、弟さんは小さな頃からいつも一緒、自分の片割れのような存在だったと。
髙村 彼は体が大きかったものですから、周囲は弟がお兄ちゃんだと思っていたんです。私がいたずらをして親を困らせたりすると、弟が中に入って宥めたり。だから、弟が生きていたなら、私はモノ書きにはならなかったと思います。
岡村 弟さん亡き後、髙村さんは大学を卒業され、いわゆるOLとして商社に就職された。そしてある日、小説を書こうという気持ちになったと。30歳になったのを機に書いてみたということですが、そのときはどんなお気持ちで?
髙村 時間つぶしですね(笑)。パソコンを買ったから使ってみたかったんです、最初の動機は。当時は80年代半ば、パソコンはまだ高価でしたし物珍しかった時代。せっかく大枚を叩いたんだから何かしようと。それで最初は会社の仕事を持ち帰ったりしたんですが、そんなバカなと思いましてね。それで、1行書き、2行書き、3行書き。それが始まりでした。
戦争が起き、地震が起きても日本人の国民性は変わらない
岡村 いま、僕たちはコロナの環境下にいますけれども、どんなふうに感じてらっしゃいますか?
髙村 戦争や大地震ではなく、病原菌、感染症でこれだけ人間の価値観が変わってしまうということに、それで私たち人間の、21世紀のこの人間の暮らしが大きく変わっていくということに、ちょっと放心してしまっているというのが正直なところですね。
岡村 そうですよね。少しでも収束に向けてのシナリオがわかれば心の置き所もあるのですが、昨今はワクチンができたといわれ欧米では接種が開始されていますけれども、まだまだ先は不透明で。明確な答えが出ていないことにモヤモヤして、このモヤモヤがいつまで続くんだろうということにもモヤモヤして。
かつて、人類がペストを乗り越えたときのように、コロナにもきっと大きな意味があるんじゃないかと思うしかないと、僕はいまそういう気持ちなんです。
髙村 私は観察する人間なので、日本人がこのコロナという感染症を経験して、どんなふうに変わっていくのか、あるいは変わらないのか、そういうところにいちばん興味がありますね。
東日本大震災が起こったとき、私は、あれでさすがに日本人も変わるだろうと思っていたんです。でも、変わらなかった。ほとんどその価値観が変わらなかった。何年かすると本当に元の木阿弥でしたでしょう。
これはきっと、戦争のときもそうだったんだろうなと。太平洋戦争を経験し、本当だったら劇的に日本人が変わって当然だと思うけれども、実は変わらなかったんじゃないかと。
だから、このコロナを乗り越えたところで、日本人は変わることができないのではないか、そういう悲観的な思いがしてしまう。前向きに捉えることができる人はもちろんおられるでしょうけども、大多数の日本人は、おそらく元の木阿弥だろうと。
岡村 それは国民性でしょうか?
髙村 国民性というか、日本人がそういう民族なんだろうなという気がします。例えば、いままではたくさんモノを作って、たくさん消費をして、高い経済成長をすることが善だったけれども、そういう生き方はもう続けられないんだと見定め、生き方を変える、暮らし方を変える、そういうことなんですが、そうではなく、GoToキャンペーンを開始してしまう。いまはさすがにそれもまずいと中止となってしまいましたけれども。
岡村 みたいですね。