文春オンライン

「実は2年前から2度目のウツです」作家・高村薫はいかに1度目のウツを抜け出したか

岡村靖幸×高村薫「幸福への道」完全版 #2

note

髙村 通天閣のふもとには西成という労働者の町が広がっているんですが、それと隣り合わせに天王寺動物園があるんです。私は子どもの頃、親によく連れられて行きましたが、駅から動物園へと向かう道すがら、振り向くと、労働者が道端で寝ている、そういう風景なんですね。すると私は、動物園へ行くことよりも、道端で寝ている人々のことが気になってしまう。なんであのおじさんたちはああなのか。親になんで? と聞いても答えは返ってこない。

岡村 黒澤明監督の映画でいえば『天国と地獄』のような世界が。

岡村靖幸 ©️文藝春秋

髙村 そうです。なぜこのような貧富の差が生まれてしまうのか。そしてもう一つ、子どもの頃に思った大きな疑問は、「なんで人は戦争をするんだ」。とにかく「なぜ」なんです。私の人生は全部「なぜ」でできている。それは観察をするとか興味があるとかじゃなく「なぜ」。考えても考えてもわからない「なぜ」。物心ついたときから「なぜ」一色です。

ADVERTISEMENT

岡村 それはいまでも?

髙村 もちろん。

岡村 いまの「なぜ」は?

髙村 例えば、世界には、トランプのような人を支持する人が確実に半分はいる。「なぜ」ですよね。堂々と大声で嘘をつき、分断を煽り、人種差別をする、そんな人を支持する人たちがなんで5割もいるのか。日本もそうです。国のリーダーたちは、なんでこんなに平気で嘘をつくのか。見え見えの嘘をつきますでしょ。この人たちは恥ずかしくないのかと。非常に単純な疑問です。単純な「なぜ」。

岡村 その「なぜ」が題材となり小説になっていくわけですね。

「源氏物語」の言語感覚に惹かれる

高村 ただ、若い頃は「なぜ」で小説を書いてたんですけれども、年を取ると、もっと自分にとって面白いことをやろうと思うようになりましたね。限られた人生ですから、社会に対して「なぜ」とやっていると、それで一生が終わってしまう。それよりももっと知りたいこと、自分自身が楽しいことをやろうと。私は「これは苦手」と思って手をつけなかったことがいっぱいあるんです。そういうことにいまは目が向きますね。手つかずのままだから新鮮なんです。

岡村 それは例えば?

髙村 例えば、『源氏物語』。私、苦手なんですよ、あの世界。

岡村 光源氏の恋愛世界が?

髙村 というか、平安貴族の……。

岡村 雅な感じ(笑)。

髙村 そう、雅な(笑)。でも、いま、あの世界の言葉に惹かれるんです。こういう言葉を書き連ねていた当時の日本人は、一体どんな言語感覚だったのか、と。

岡村 それも「なぜ」ですね。

髙村 「なぜ」です。庶民の言葉はもっと違ったはずなんです。でも、庶民の言葉は残っていない。謎のまま。わからないんです。

岡村 ストーリーというより言葉に惹かれるということですか?

髙村 そうです。言語感覚に惹かれる。平安貴族の恋愛事情にはあんまり興味ないですわ(笑)。

岡村 恋愛小説とかは普段からあまり読まれませんか?

髙村 興味ないんです、若い頃から。恋愛よりも、「なぜ、なぜ」と思うことがいっぱいあったので、それで頭がいっぱいで。

岡村 男と女の「なぜ」よりも。

髙村 思春期の頃はもうベトナム戦争一色でしたから、時代的に。なんでこんな残酷なことをやるんだと。中国の文化大革命もそう。当時、みんなあの赤い『毛沢東語録』をかざして、世界中で若い人たちがデモしてましたでしょ。あんな残酷な文化大革命になぜみんな熱狂するんだと、私には謎だった。全然わからない。「何をしてるんだ、この人たちは」と。そんなんでしたから、恋愛というのはどこかに行ってましたね、私の中で。