信じることができない宗教者はたくさんいます
岡村 髙村さんは近年、空海をテーマにした本を書かれたりしましたけれど、なぜ仏教に、宗教に関心を持たれたんでしょうか?
髙村 それも「なぜ」なんです。大きな「なぜ」。なぜ人は信じることができるのかと。というのは、私にはそれができないから。一つわかったことは、宗教者、お坊さんたちにとっても、信じることがいちばんの難関だということです。信じることができない宗教者はたくさんおられる。だから、信じることができるところへ向かって皆さん修行なさるんです。ただ、いろんな勉強をして教義を学び、最後に「信じる」のは本当に飛躍、跳躍で、ポンと高いところへ飛ばなければいけない。それができるかできないか、それで信心を持てるか持てないかが分かれる。だから、信じることができないことは、悩むことではない。信じられなくて普通なんですね。
岡村 結局、信心って、快楽につながっているのではないかと僕は思うんです。苦行をしていても快楽物質は出てるんじゃないかって。
髙村 エンドルフィンがね。信じることができたその状態というのは非常に楽なんだと思いますね。
岡村 そうじゃないと、かつてオウム真理教に若者たちが熱狂したことの説明がつかないなって。
髙村 オウムがあれだけの人気を誇った大きな理由の一つは、若者が疑問をぶつけたときに、すぐに答えが返ってくるからだったらしいです。即答するのだと。
岡村 明解だったんですね。
髙村 そう。明解さ。それから時短。すぐに解決する。既存の宗教と違い、すぐに答えが返ってくる、すぐに納得させてくれる。これが若者たちを引きつけた大きな理由。
岡村 僕が不思議だったのは、いい大学の出身者やインテリの若者たちが多かったことです。
髙村 私が聞いたところでは、頭のいい人たちだからこそ、なんですよ。そういう人たちは、いろんなシステムにすぐ絶望する。そして、悩んで、オウムに相談に行く。すると、すぐに答えが返ってくる。「あんなに悩んでいたのにこれはすごい」となってしまうと。
岡村 ピュアだったんだろうなとは思いますが、それこそ「なぜ」とは思わなかったのかなと。
髙村 オウムのもう一つの大きな特徴は、もはやそれを疑うこともできないような、直接的な身体体験をさせたことです。例えば、薬物を使ったり、ヨガの特別な呼吸法をやることによって、超絶体験をさせる。いわゆる神秘体験ですよね。それを一旦経験してしまうと、どんなに頭のいい人でも否定ができなくなってしまう。「ほら、オウムは正しいでしょ」と。
岡村 なるほど。ところで、作家として、これからの具体的な計画というのはあったりしますか?
髙村 そんな働き蜂じゃないのでね(笑)。難しく構えて生きるということをもうしなくていい年ですし。やっぱり、書くにしても、体力的にはもちろん若いときのほうがいい。ただ、年を取ったからこその自由さがあるなと。