曖昧な否定
タブー視される社会問題を次々と切り裂いていく奥山に、「MOMIKESU」発言についてさらに詳しく尋ねた。
「『検証 昭和報道』という朝日新聞の大型企画の一環で、ロッキード事件を再検証しようということになりました。それで、私は米国公文書館に通って、ロッキード関連の秘密解除文書を探しました」
それが「MOMIKESU」と記された公文書を発見したきっかけだったと、奥山。
文書は膨大で、かつ、あちこちに散らばっている。ホワイトハウス、国務省、司法省、国防総省、証券取引委員会、裁判所、議会など機関ごとに文書は整理されているが、それ以上は、おおざっぱな目録を見ながら勘を働かせて見当をつけ、根気よく一枚ずつチェックするしかない。
その上、歴代大統領にゆかりのある地それぞれに国営図書館があって、ホワイトハウスの内部文書はすべて、そちらに移される。そこへも足を運ばなければならない。
「MOMIKESU」ことを中曽根が依頼した文書を見つけたのも、フォード大統領図書館(ミシガン州アンアーバー)だった。
ロッキード事件発覚時からあった疑惑
そもそも、そんな重大発言の存在など、奥山はそれまでまったく知らなかったという。
「中曽根氏が、何らかの形でロッキード事件に関わったのではないかという疑惑は、事件発覚時から取り沙汰されていましたし、国会の証人喚問も受けています。そういう意味では、疑惑の人だった。あの文書を発見したことで、その疑いがより強まったのは、間違いありません」
中曽根本人がトライスターやP−3C採用について、口利きをしたり、ロッキード社からカネを受け取ったというような裏付けはない。
また、奥山のスクープ記事が掲載された時に、朝日新聞は中曽根事務所に文書についての事実確認をしているが、「ノーコメント」と返されている。
その後、2012年に刊行された『中曽根康弘が語る戦後日本外交』の中で、中島琢磨が、その点を問いただしている。
それに対する中曽根の答えは「アメリカ人に対して『もみ消す』なんていう言葉を使うはずがありませんね。私と大使館の間に入った翻訳者がそう表現したのかもしれないが、日本の政局も考えて、仮に摘発するにしても、扱い方や表現の仕方を慎重に考えてくれと伝えたつもりです」という歯切れの悪いものだった。
また、同書で中曽根は、「アメリカ側には、田中勢力の打倒においては、三木に期待していたところがあったのでしょう。田中は石油を世界中から獲得するために、中東だけではなく、ソ連、ノルウェー辺りの石油にまで日本が手に入れようと動き出しているので、アメリカ石油資本が田中は敵(エネミー)だと認識して、彼をやっつけろと。そういう動きがアメリカ議会やアメリカの政治にありました。嘘か本当か知らんが、そういう情報もありましたね」と述べている。
角栄が、米国の虎の尾を踏んだために、葬られたという説を、暗に追認している。