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小室哲哉に引き抜かれ歌手デビューした華原朋美

 結果、大騒動になったわけだが、芸能界は弱肉強食。これまでも弱小事務所からのブレイクしたタレントの引き抜きは、いくつもある。

 例えば華原朋美だ。1992年の高校3年時、立ち上がって日の浅い芸能プロのアバンギャルドにスカウトされ、グラビアアイドルとしてデビューした。当時は社長とテレビ局、出版社、新聞社などを回るなど、地道な売り込みを重ねていた。最初の芸名は三浦彩香で、1994年4月から遠峯ありさに変更。次第に深夜番組などに出演するようになり、持ち前の明るさでスタッフ受けも良かった。当時は同じく歌手デビュー前でアイドル活動をしていた浜崎あゆみとの共演もあった。

元“遠峯ありさ”の華原朋美 ©️文藝春秋

 その最中、画面に映る遠峯の姿を小室哲哉が気に入り、番組プロデューサーを介して2人は面会。遠峯はカラオケでTRFの楽曲を歌うなどし、小室は遠峯を恋人にして自らのプロデュースで歌手デビューさせる決意をしたとされている。そして、小室の個人事務所TK stateに移籍。アバンギャルドの社長からすれば、たまったものではないが、小室と親しい業界の大物たちが説得工作に入り、引き離されてしまった。

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「社長はかわいそうでしたよ。いくらかの補償金も手にしたと思いますが、マンツーマンで育てて、やっと売れ始めたタレントでしたからね。『もう、何にもなくなった』と嘆いていたと聞いています」(キー局テレビ関係者)

 なお、社長はその後にスカウト活動を再開して事務所を立て直した。そして、眞鍋かをり、小倉優子を人気者に育てた。だが、後に2人はともにマネジメントへの不満などから、事務所側に契約解除を通知。法廷闘争の末に退社に至り、それぞれが中堅事務所に移籍している。

壇蜜は事務所が小規模でキャパオーバー

 タレントの急激なブレイクによって、移籍となったケースもある。典型的なのが壇蜜だ。彼女はフリーでグラビア活動をしていた2010年7月、スカウトされてエクセルヒューマンエイジェンシーに所属。本格的に芸能活動を始めたが、瞬く間に超売れっ子になり、大量の仕事、取材のオファーが舞い込んだ。事務所は小規模で、キャパシティーをオーバーした状態に……。結局、2013年4月、壇蜜は中堅のフィットワンに移籍している。

壇蜜 ©️文藝春秋

「壇蜜さん自身も当時の事務所では、オファーの数々にちゃんと対応しきれていないことを感じ取っていました。そして、内々でコンタクトしていた事務所の中から、吉木りささんや杉原杏璃さんが所属するフィットワンを選んだ。当時、イベントで『円満移籍ですか?』と聞かれ、『私はそうだと思っています』と話しています」(スポーツ紙デスク)

 ブレイクぶりが事務所のキャパシティーを超えていたという意味では、壇蜜と森七菜は状況が似ている。違うのは年齢で、移籍問題に親が影響していたか否かだ。