大好きな親分たちの背中を体現した舘ひろしさん
――その親分を舘ひろしさんが演じられています。
藤井 舘さんが最近のインタビュー記事で「渡哲也さんの背中を自分は追ってきたんだ」と言われていましたけれども、舘さんには大好きな親分のような存在として石原裕次郎さんや渡さんがいて、そうした人たちの背中を舘さんはこの映画のなかで体現してくれたんじゃないかと思っています。
――その舘さんですが、脚本の最終稿では出所した「山本賢治」に少ない祝儀を渡すとき、「すまんな」と言います。これが実際の映画では「ごめんな」と言う。従来のヤクザ映画の親分からは出てこない言葉だと思い、印象に残りました。
藤井 舘さんは70歳なのですが、当時32歳の僕が書いたセリフだと、舘さんにはちょっと言いづらい言葉だったりします。それに舘さんには、その時代をその年齢でちゃんと生きた人たちの言葉にしたいという思いがある。だから撮影中によく、舘さんから「監督、ここはこういうふうに言っていいかな?」とセリフを変える提案がありました。
舘さんが素晴らしいのは、そういうとき、勝手に変えないんです。「このセリフは、(演じた役柄の)柴咲だったらこう言うと思うんだよね」「では、それでやってみていただいていいですか」、そんなふうに一緒に芝居をつくっていきました。今言われた「ごめんな」もそうやって撮った言葉です。
舘さんに限らず、撮影現場で俳優の皆さんが脚本に書いていることを何十倍にも広げてくれた印象です。シナリオは徹底的に取材して書いたものですが、現場で自由に壊すために書いています。それをスタッフも俳優もわかってくれている。
家を建てることに喩えれば、現場でもっといい釘がみつかった、もっといい打ち方が見つかった、もっと良い木材があればそっちを使おう、そんなふうに限られた時間の中で、皆でよりよいものにしていく、これが映画制作の一番の醍醐味なんです。