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2021/02/15

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

土木工事を独占した理由

 それまでの水谷建設は山崎建設などと比べ、大手や準大手ゼネコンの下請けであるサブコンとして、まだまだ力不足に見られていた。その存在感を一挙に高めたのが、手取川ダムの工事なのだという。以来、水谷建設は準大手の前田建設に認められ、前田の受注した重機土木の工事を独占できるようになっていく。再び土木業者が続ける。

「ここから40年以上、前田建設の土木工事はよそに行かんことになっている。前田の下請けは水谷一本槍です。事実上、見積もりなし。前田建設は水谷の言うがまま、他社との相見積もいっさいとらんで、水谷に工事を任せるようになったんです。やがて全国の前田の仕事を水谷が取るようになった。そこまで前田さんは信頼していたということでしょうな」

 水谷建設はもとより、多くのゼネコンはオーナー会社である。前田建設も前田又兵衛という福井県出身の創業者がおこした同族会社だ。もとは飛島建設の前身である飛島組傘下の福井事務所からスタートし、独立した。09年4月に小原好一が就くまで、社長はすべて創業家から出ている。建設業界では、会社同士の付き合いも個人的な人間関係がものをいうことが多い。水谷建設と前田建設の取引も、そこに根ざしている。

原発工事で大きくなっていった

 水谷功にとっても、この手取川ダム工事は、ひとつの転機になった。このときはまだ水谷建設の第二工事部長として、現場で陣頭指揮に立っていたが、建設業者にとって、今も昔も工事現場はなにより大切な場所だ。本人はそこで前田建設の社長だった前田又兵衛との人間関係を構築していったという。

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 元来、大型ダム工事をはじめとした水力発電所事業については、戦前から飛島建設や熊谷組の牙城とされた。飛島建設から独立した前田建設にとっても、手取川ダム工事は悲願だったといえる。そうして手取川のダム工事が、水谷家の兄弟のあいだで功が重みを増す要因にもなる。

 そこから持ちつ持たれつ、前田建設と水谷建設は二人三脚で事業を拡大させてきた。その次なる狙いが、福井県内で計画されていた発電所の工事である。前出の土木業者が話す。

「ちょうど、福井に原発がバタバタとできていったんや。それを前田が取って水谷が下請けに入るという形ができていった。又兵衛さんと功さんの二人で、手取川ダムの赤字をとり返そうと、北陸の発電所建設の受注で頑張ったんやな。福井の火力発電所が1基、2基とできていき、さらに敦賀の『ふげん』も、志賀原発の一号機と二号機の工事も、みな前田がとった。前田は北陸電力の株主になり、北陸電力の本店のある富山にも支店を置いていた。その強みがあったと思うけど、前田が工事をとり、水谷がその下に入っていった。それで、二人は切っても切れん関係になり、ともに大きくなっていったんです」