一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)

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「原発利権」で浮上した事件

〈福島第2原発残土処理でリベート 三重の会社が2億4000万円 東電も把握か〉

 すべてはこの読売新聞中部版のスクープ報道から始まったといっていい。2003年7月17日付朝刊の一面トップを飾った特ダネだ。ここにある「三重の会社」が水谷建設なのは、繰り返すまでもないだろう。記事は〈名古屋国税局追徴課税〉との小見出しに続いてこう書く。

 東京電力福島第二原発(福島県富岡町、楢葉町)の残土処理事業を巡り、三重県内トップの建設会社「水谷建設」(本社・三重県桑名市)が土砂運搬などを発注した都内の建設会社に対し、外注費を約2億4千万円水増しして支払っていたことが16日、名古屋国税局の税務調査でわかった。都内の建設会社は原発立地などに影響力を持つ元警備会社役員が設立しており、同国税局では水増し分は都内の建設会社へのリベートとみて全額を所得隠しと認定し、追徴課税した。ゼネコンを通じて水谷建設に残土処理を発注した東電では、発注額が割高だったことを否定しておらず、リベート支払いを把握していた可能性もある

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 福島県は、福井、新潟と並び、日本で最も多くの原子力発電所がある地域だ。1971(昭和46)年に運転を始めた福島第一原発一号機は、東電で最も古い原発である。県内には、その第一原発に加え、第二原発も建設された。福島第二原発は、1982年4月の一号機の営業運転以降、87年8月には四号機の運転が開始された。第一原発の6基と合わせ、福島県内には10基の原子炉が存在する。原子力発電事業において、東電が最も力を入れてきた地域といえる。

高速増殖炉からプルサーマルへ

 東電は90年代になると、さらに第一原発の2基増設を県側に申し入れ、物議をかもす。当時の東電社長、荒木浩が知事の佐藤栄佐久に対し、原発増設の見返りとして、県内にサッカーのナショナルトレーニングセンターを建設すると約束した。そこで佐藤もいったんは原発容認に動いた。東電は、使用済みウラン燃料の再処理によるプルサーマル計画を福島県で推進したいと発表し、県側も乗り気になる。

 プルサーマル計画は、核燃料サイクル事業の一環に位置づけられている。使用済み燃料から燃え残ったウランとプルトニウムを回収し、混合酸化物(MOX)燃料に加工して再利用する。既存の軽水炉を利用できるメリットがあるとされる。だが、その実、高速増殖炉の代替計画に過ぎない。95年12月の福井県敦賀原発の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」でのナトリウム漏れにより、プルサーマル計画が注目された。高速増殖炉計画は実現可能性が低いため、ドイツやフランスがプルサーマルに舵を切り、採用されてきた技術だ。福井、新潟、福島の原発銀座地域の三知事が、そろってときの首相、橋本龍太郎とこの計画を話し合っている。