「県内の春江にある福井空港は、セスナ機とヘリしか降りられへん。だから、そうそうたびたびは使われへん。空港にやって来る人も、限られていたんよ。そんなところへヘリで舞い降りてくるものだから、水谷さんたちは余計に目立っていました。水谷さんは、けっこう多かったんと違いますかな。よう白川さんとここにやって来てましたで」
地元の住人がそう語る。水谷と白川が連れだってヘリから降りてくる姿をよく見かけたという。二人が福井入りする表向きの目的はたいてい観光だった。秋が深まり、越前ガニの漁が解禁になると、いち早く福井にやって来て、温泉旅館に泊まった。派手好きな水谷が度々宿泊したのが、「開花亭」や「べにや」といった高級旅館だ。なかでも「べにや」は、生前の石原裕次郎が静養のために長くとどまっていた名旅館として知られ、水谷が好んだという。
東電とのパイプをさぐる
もとより水谷が白川を連れて福井までやって来たのは、観光のためだけではない。白川の電力業界に対する影響力を期待していたからだ。前出の水谷建設の元役員も次のように指摘する。
「電力会社は地域ごとにたくさんありますけど、業界の中心はやはり東京電力でしょう。日本の原発事業は、東電が方針を決めてきたんだと聞いています。工事の元請けはもちろん、下請けも、『ここを使いなさい』と指示される。実際、北陸電力なんかも、何かにつけ『東京電力に許可を取らんといかん』と話していたくらいですから。だから、われわれゼネコンとしても、何とか、東電とのパイプをさぐる必要があるんです」
ちなみに敦賀原発の三、四号機の建設工事着工に前後し、亀井静香もこの地に何度かあらわれている。「福井亀井会」という後援会を旗揚げし、北陸の地盤を築こうとしたという。
「それをバックアップしたのが、水谷建設です。後援会に入会すれば、仕事をまわす、と地元福井の業者たちに声をかけていました。要は、仕事の分け前にあずかれるという話です」(同前)
そんな水谷功や白川司郎、さらに東電の足元に迫った捜査が、名古屋国税局による査察だった。そして事件は、福島県知事の汚職へと発展する。