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「二人は兄弟分のような仲」 水谷功と政界を結びつけるキーマンとなった“フィクサー”の正体

『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より #7

2021/02/15

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

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原発工事を受注できた別の理由

 言うまでもなく「ふげん」とは、1970(昭和45)年12月に福井県敦賀市で建設が始まった新型転換原型炉のことだ。命名は釈迦如来の脇士である普賢菩薩に由来する。すでにこの年の3月に営業運転を開始していた敦賀原発に隣接して建設された。ちなみにふげんは03年3月に廃炉が決まり、運転をやめているが、敦賀原発やふげんは茨城県の東海原発に続いて政府が推進してきたビッグプロジェクトとして脚光を浴びてきた。

 敦賀原発は北陸電力、関西電力、中部電力に送電する日本最古の商業原発である。日本の原発政策のシンボルだった。営業開始から9年後の79年3月に二号機の開発申請がなされ、さらに93年12月には三、四号機の増設促進請願が福井県議会で採択されてさらなる発電所計画がスタートした。

 準大手の前田建設は、そんな敦賀原発三、四号機の敷地造成他工事共同企業体(JV)に参画し、水谷建設がその下請けに入った。造成工事の準備段階の進入路トンネルの設計から工事までを請け負ってきた。

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「とにかく前田は原発工事をいっぱい取ってきた。おかげで、飛島や熊谷がかすんでしまった感があるくらいです。それを支えてきたのが水谷功さんでしょう。工事現場で前田の事務所長らといっしょに食事をしたり、非常に親しくしていました」

©iStock.com

 水谷功の懐刀である土木業者はこうも明かす。そして、前田建設と水谷建設の2社がここまで北陸の発電所計画に食い込むことができた背景には、別の理由もあるという。

「前田や水谷が発電所の仕事をできたんは、やっぱり白川さんのおかげと違うやろうか。水谷さんと白川さんは、まるで兄弟分のような仲だと思います」

政商「白川司郎」の役割

 政界通なら、その名前を聞いた覚えがあるに違いない。白川司郎は、身長160センチそこそこの小柄な初老の紳士だが、永田町における実力は折り紙つきだ。自民党代議士、三塚博の秘書だった時期もあるという。東京電力をはじめとする電力業界に通じ、その影響力は絶大だとされた。政財官界から裏社会にいたるまで幅広い人脈を誇り、最後のフィクサーと称される。あの許永中の知己であり、政界では国民新党代表だった亀井静香とも親しい。

 白川は亀井静香が日本航空とともに設立した警備会社「ジェイ・エス・エス」のスポンサーとして知られる。ジェイ・エス・エスは、ジャパン・セキュリティ・サポートの略称だが、白川本人も「日本安全保障警備」という会社を経営してきた。まるでジェイ社の日本語訳であり、ジェイ社とともに、青森県六ヶ所村にある「核燃料サイクル施設」の警備を担ってきた。六ヶ所村の施設は全国の原子力発電所から出る使用済み核燃料を処理するプルトニウム生産工場だ。日本の原子力計画の中核施設として知られる。