日本の女性脚本家の歴史は、日本の女性の歴史でもある。
1925年生まれの橋田壽賀子の脚本は、「主婦が家事をしながらでも、テレビの画面を見ることなく内容がわかるように」と本人が語る通り、徹底的に登場人物の会話で物語が進む。女がテレビの前に座っていることが許されない時代、夫や子供がドラマを見ているときにも台所で食事を作り、あるいは食後の食器洗いをしなくてはならなかった主婦の耳に届くように、橋田壽賀子の脚本は書かれているのだ。
橋田より5年後、1930年に生まれた小山内美江子の脚本は、『3年B組金八先生』に代表されるように、戦後民主主義への強い信頼が基盤にある。時代が変わり、「古い」「流行遅れ」と笑われ、パロディにされても、彼女たちは自分の生きた時代の価値観、自分の信じる物語を語り続けた。
朝ドラ炎上を恐れずツイートし続ける脚本家、北川悦吏子
1961年生まれの北川悦吏子の書く物語には、いつも女性の欲望と主体性が中心にある。2018年に放送された朝の連続テレビ小説『半分、青い。』は、たぶん朝ドラの歴史の中で、橋田壽賀子の書いた『おしん』から一番遠い、南極と北極のように離れた物語だったと思う。
明治生まれの農村の少女の受難を描き、その不遇が視聴者の共感を集めた『おしん』に対し、『半分、青い。』の主人公、1971年生まれの楡野鈴愛は、とんでもない失敗と勘違いを繰り返しながら「なりたいもの」「やりたいこと」に向けて突っ走り続ける。
もちろん、朝ドラ史上もっとも共感を集めた『おしん』の正反対をやって何事もなくすむわけがない。「かわいそうで健気なヒロイン」と対極にある自由奔放な鈴愛が巻き起こす摩擦と反発は、物語の外のSNSでも激しく燃え上がった。
もともと朝ドラは、それこそ箸の上げ下げひとつが吊し上げられるような視聴者の視線の中で放送される特殊な枠だ。批判専門のハッシュタグが作られ、あらゆる角度から不適切な描写が探し出される。『半分、青い。』の後で放送された『なつぞら』では「主人公が他人を指さした、失礼だ!」と炎上し、『スカーレット』では放送前から「究極の働き女子」という公式Twitterの一文に「主婦は働いていないというのか」という抗議が寄せられた。
他の枠のドラマでは考えられないが、それが朝ドラという枠である。朝ドラに抜擢されたある脚本家は、放送開始前からアカウントに鍵をかけ、フォロワーしか見ることのできないその鍵の中でも不用意なことをほとんど呟かなかった。朝ドラの放送中に何が起きるかをよく知っているからだ。
ただ、『半分、青い』に対するSNSのリアクションの過熱の中には、他の作品にもよくあるツッコミやおちゃらかしとはまた別の、北川悦吏子というビッグネームに対する強烈な反感が混じっていることを感じたのも事実だ。