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「寝るところがなければ遊びに来い」と誘われて

 怒羅権が誕生したときに暴走族になりたかったわけではないように、ヤクザになりたいわけではありませんでした。しかし、組事務所には温かい食事があり、ベッドがあって、組員には「寝るところがなければ遊びに来い」と誘われます。当時、盗みをして得た金でサウナに泊まることが唯一の幸せだったような私ですから、布団の上で眠れるというのは幸福で、出入りするうちに仕事が与えられるようになり、部屋住みという形になったのです。

 怒羅権がヤクザと協力関係になったのは、私のような二足のわらじを履く者の手引きも影響していました。

 当初はヤクザの依頼で誰かを殴ることでお金をもらうといった関係でしたが、やがて組織犯罪に関わるようになります。

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 代表的なものは裏ロムの出し子です。深夜にパチンコ店に忍び込み、基盤に細工をし、昼間に客になりすまして金を回収します。1日100万円くらいの利益になります。偽造テレフォンカードの売買もこの時期は儲かるシノギでした。

 怒羅権の現役世代はバイト感覚でこうした犯罪に手を染めていきます。

汪楠氏 ©️藤中一平

ヤクザの腕を日本刀で切り落とす

 少し話が前後しますが、90年、私が18歳のとき、同僚のヤクザとトラブルになり、私が少年刑務所に収監される事件がありました。

 当時、私は怒羅権とヤクザを両方やっていました。この頃、私の反社会性は相当なものだったと思います。毎日殺し合いのようなことをしており、人を傷つけることにまったく抵抗がなくなっていました。そしてある日、私のカネを盗んだ1人の組員の腕を、日本刀で切り落としたのです。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 経緯を振り返れば、原因の大部分はその男にあります。

 カネを盗まれた際、組長が仲裁に入り、「許してやれ」と命令されました。従うほかありません。しかし、男は組長たち幹部が事務所から帰ったあと、「お詫びがしたい。飲みにいこう」と言います。嫌でした。

 カネを盗まれた怒りは収まっておらず、男を許したのも組長がそう言ったからです。しかし男は「わびを受け入れてくれないと同じ組でやりづらい」などとごね続け、結局その男と組長の息子、舎弟1人の4人で飲みに行きました。

 しばらく酒を飲み、会計は十数万円になっていました。すると男は「カネがない。つけにしておいてくれ」と言い始めたのです。