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「子どもも欲しい。親子で『バカ殿様』をやるのが夢なんだ」志村けんが愛弟子に語っていた結婚観

先行公開『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』#3

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 志村さんは毎朝欠かさずニュースを見ていました。スポーツ紙は全紙購読していて、忙しいときは車中に持ち込み、隅々まで目を通していました。

「誰かと話をしていて、『これ知ってる?』って言われたとき、知らなかったら話はそこで終わっちゃうよな。知っていて知らないフリをするのと、本当に知らないのはまったく違う」

 そうも言っていました。どちらもすごく納得できる話です。

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「お前は俺にいろいろ聞いてくるな」

 志村さんを見習って僕もニュースを見たり新聞を読んだりするようになったのかといえば、情けないことにそこの努力はほとんどしませんでした。

 もちろん向上心はあります。付き人の仕事をソツなくこなしているだけでは芸人修業にならないとは、重々承知していました。しかし僕の興味は、もっと直接的なことにありました。

2014年の舞台「志村魂」で2人で稽古する志村けんさん(左)とげそ太郎氏(筆者提供)

 麻布十番『叙々苑』で志村さんと食事をしていたときのことです。

 その日、志村さんは機嫌が良く、僕はここぞとばかりにあれこれ質問をぶつけました。

「『全員集合』のあの場面では、どんなことを考えていたんですか」

「あのコントはどういうきっかけで思いついたんですか」

 そんなふうに聞いているうち、志村さんの口数がだんだん減っていきました。ふと気がつくと、明らかに不機嫌な様子です。

「お前は俺にいろいろ聞いてくるな」

 そう言われました。でも、何が不満なのかまったくわかりません。

「今、世間ではこういうことが流行っています。昨日こういう面白いニュースがありました。お前はそういう話をしろ」

常にコントの材料を探していた志村さん

 今ならその言葉の意味はわかります。常にコントの材料を探していた志村さんは、僕にアウトプットではなくインプットを求めていたのです。僕が自分の出来事をどう語るのか、そこも見たかったのかもしれません。

 しかし、そのときは「なんで聞いちゃいけないんだよ」と不満を抱きました。毎日ほとんど24時間一緒にいるんだから、新しい情報なんてあるわけないだろ――と生意気にも拗ねていたのです。

東村山の献花台 ©️文藝春秋

 それでもその後は僕なりに、「これ、最近ヒットしている曲です」などとCDを渡したりしていましたが、そこには何の熱意もなく、志村さんの役に立ちたいという気持ちもありません。

「おお! この曲はいいなあ」

 などと褒められたことは一度もなく、やがて僕からの情報提供は少しずつフェードアウトしていき、最終的にゼロになりました。