『ミルクマン』は、十八歳の主人公が、謎の男「ミルクマン」に二カ月の間付き纏われる物語であるが、私たちが目撃するのは、この出来事を触媒として明るみに出る、コミュニティの異常性と、人というものの複雑さである。
「こっちの宗教」「反体制派」として語られる主人公が暮らすコミュニティは「あっちの宗教」「体制派」と緊張状態にあり、「警察」「国側の軍」「海の向こう側」なども関係し、厄介な様相を呈している。流血沙汰は日常茶飯事で、家族はいとも簡単に失われる。
このような社会情勢の下、狭いコミュニティに暮らす人々は独自のコードを張り巡らし、お互いを監視する。そして、本人たちがなんとか保とうとしている“普通”から逸脱する者に、「奇人変人さん」というレッテルを貼る。コミュニティの不条理さの描き方には、ジャネット・ウィンターソンの『オレンジだけが果物じゃない』に似た、絶望の先にあるユーモアが感じられる。「政治的な死」があまりにも当たり前になってしまい、人々はそれ以外の死をどう考えていいかわからない。空の色は青色しか認められておらず、フランス語の先生に、夕焼けの空の色を描写するよう求められた生徒たちは混乱し、恐怖を感じて反発する。男女の役割分担が固定され、男に反論する女も、料理が好きな男も許されない。街自体が麻痺状態にあり、主人公は「ミルクマン」の登場によって自分の日常が揺らいだことで、別の視点を獲得することになる。「ミルクマン」に接触されたことで異分子となった彼女が、実は違う理由で「奇人変人さん」扱いをされていた、と知らされる場面は衝撃的で、このコミュニティが何を最も恐れているかが露わになり、秀逸だ。
過度に抑圧され続けてきたことによって、愛、というものに戸惑いと恐れを抱く人々の言動には深い悲哀がある。誰かを愛したら終わりだ、自分も相手も不幸になる、という追い込まれ方が、彼らを“迷走”させる。主人公の「メイビーBF」に込められていた意図が反転する瞬間、そして相手側の「メイビーGF」の意味合いもまた違っていたことがわかるところなど、それぞれが隠さなければならなかった真実の悲しさを思う。「ミルクマン」は主人公に一切触れることなく、彼女を籠絡しようとし、人々は彼女の声に耳を傾けない。様々なかたちの、見えない暴力がそこにある。「ミルクマン」ともう一人の粘着質の男から主人公は解放されるが、理由は彼らがコードを破ったからであり、彼女を救い出そうとした人がいるわけではないところがこの物語らしい。裏で連帯し、助け合う女性たちがフェミニズムを否定する様や、登場人物たちが名前ではなく、間柄やあだ名で呼ばれるルールなど、全体的に安易な解釈を許さない作品だが、じわっと胸に巣食う物語の力がある。
Anna Burns/1962年、イギリス連合王国北アイルランドの首都ベルファスト生まれ。87年にロンドンに渡る。2018年発表の本書により、同年のブッカー賞、20年国際ダブリン文学賞受賞。
まつだあおこ/1979年、兵庫県生まれ。作家、翻訳家。著書に『おばちゃんたちのいるところ』『持続可能な魂の利用』など。