70年代は怒りの時代だった。大人も子供もみな何かに怒っていた。
それは何に対してか? 高度経済成長の〝ゆがみ〟にだ。それは、〝公害〟であったり、処理されない〝戦後〟であったり、〝金権政治〟であったり、各人各様の怒りが確実にそこにあった。
そんな人々の晴らされぬ思いを一身に受けて誕生したのが、朝日放送が世に送りだした時代劇の傑作〝必殺シリーズ〟だった。か弱き一市井人の晴らせぬ怨みを、金をもらって晴らすという、単純かつ根源的なコンセプトを前面に押しだした本シリーズは、いまなおファンの絶えることのない人気シリーズとして語り継がれている。
「必殺シリーズ」は当時の時代劇の中ではあまりに斬新な映像を生み出してきた。特に型破りな手法が目立つのは、72年に『木枯し紋次郎』の対抗馬として放送された『必殺仕掛人』の続編にあたる『必殺仕置人』以降。
『必殺仕置人』は、南町奉行所きってのグータラ同心、昼行燈(いるかいないかわからないぼんやりした人間)の異名をもつ中村主水(藤田まこと)が、観音長屋に住む骨接ぎ師の念仏の鉄(山崎努)や、棺桶の錠(沖雅也)らとともに、法の網をくぐってはびこる悪を裁き活躍するさまを描いたものだ。
主役・悪役含めて放送コードぎりぎりのようなキャラクターの嵐が、視聴者に強烈すぎるほどのインパクトを与え、前作以上の人気を獲得するにいたった。
坊主頭のキャラクターが主役、という不文律
中村主水をとり巻く残り2人の主人公、念仏の鉄と棺桶の錠は、後のキャラクターコンセプトを早くも決定づけてしまった重要なキャラクターだ。
特に念仏の鉄は、3人のなかで唯一全話にわたって登場していることからしても、本作の事実上の主役であったことがわかる。意外なことだが中村主水は当初、主役でありながら狂言回し的な役割をになっており、この『仕置人』にも2話ほど登場してこない。
あるいは登場していてもギックリ腰などの理由で殺しには参加しなかったりする。つまりシリーズでの彼のキャラクターは『仮面ライダー』における立花藤兵衛的な、後見人として存在していたのだ。