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2回目の逮捕でも仮釈放を考えなかった奥崎

――戦争が終わっていたにも関わらず部下を銃殺したとされる独立工兵隊の元中隊長の村本の代わりにそのを息子ピストルで撃って、殺人未遂で殺人に関連しては2回目の逮捕をされたときには12年の懲役刑ですが、これも満期釈放ですね。仮釈放を狙っていない。

「謝罪をしてしまったら、自分の行動を反省することになる。そんな薄い覚悟で動いたわけではないということなのでしょう。

 一方で彼の懲役の経歴を見ると、最初に熊本刑務所に行ってから北九州の城野医療刑務所に行って、それで府中に移送されている。最後は府中から出所しています。とても考えて動いているなと思うのです。

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 熊本は収容分類級で言うと、LのB、LB級なんです。長期収容で再犯者、犯罪傾向が進んでいる受刑者を入れている。だから熊本はおそらく住みづらかった。この人は確信犯ですから、更生意欲なしです。言われたように満期覚悟ですから、住みやすい刑務所に行きたいと思う。それで医療刑務所への移送を願ったのではないでしょうか。

 城野は身体疾患じゃなくて、精神疾患が多い医療刑務所です。そしてある意味熊本刑務所の幹部刑務官も奥崎を抱えることはめんどくさかったと思うのです。

 私は19歳のときに大阪刑務所で声をかけてきたあのときの奥崎の顔を今でも思い出すことがあります。奥崎は偉そうにしている上に対しては激しく抵抗しますが、現場の下っ端の刑務官には悪くないんですよ。特別でしたね。当時、大阪刑務所には受刑者が5000人以上も居た時代ですよ。その中でも全然、肌合いが違う人でした」