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「推す」ことで生きられる

 この推し文化を、外野から単なる消費文化として却下するのは安易というものだろう。それをよく理解させてくれる文学作品が2020年には立て続けに発表されて話題となった。第164回芥川賞を獲った宇佐見りんの『推し、燃ゆ』(河出書房新社)、そして松田青子の『持続可能な魂の利用』(中央公論新社)である。

「推し、燃ゆ」の著者の宇佐見りんさん 芥川賞受賞会見で 提供:日本文学振興会

 この、それぞれに個性的な二編の小説に共通するのは、「推す」という行為が主人公たちに与えるエンパワメント(力を与えること)の効果だろう。『推し、燃ゆ』では、高校中退をして居酒屋で働く語り手のあかりは、アイドルグループ「まざま座」の上野真幸を「推し」ており、彼を人気投票で押し上げるために、なけなしのバイト代を投票権付きのCDの購入に充てる。

 かたや、『持続可能な魂の利用』の主人公敬子は、派遣事務員として勤めていた会社で、正社員の男性の面白半分の謀略の犠牲となって職を失う。姉の住むカナダでしばらく暮らして日本に戻ってきた敬子は、カナダと対照的な日本に息苦しさを感じている。そんな時に出会ったのが、微笑みを見せることなく革命について歌うアイドルグループのセンター、「××」であった。

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 エンパワメントと述べたが、二人にとって「推し」とはほぼ「死なないで生きていく」ための拠り所のようなものである。その点で興味深いのは、この二つの小説で「偉い/えらい」という言葉がキーワードとして響き合うことだ。『推し、燃ゆ』では、あかりの友人で地下アイドルの追っかけの成美が、あかりにこう言う。

《「でも、偉いよ、あかりは。来てて偉い」と呟く。

「いま、来てて偉いって言った」

「ん」

「生きてて偉い、って聞こえた一瞬」

 成美は胸の奥で咳き込むようにわらい、「それも偉い」と言った。》

 一方で、『持続可能な魂の利用』では、敬子がコンビニで次のように考える。

 

「持続可能な魂の利用」の著者の松田青子さん

《えらい。

 敬子は思う。

 自分も野菜を、肉を、卵を、あらゆるものを食べていきていかねば、ちゃんと食べていかねば。

 サラダチキン一つが入ったビニール袋を片手に、コンビニから走り去っていくサラリーマンの後ろ姿を見ながら、敬子は思う。》

「推す」ことで社会の圧に耐える

 はからずも響き合うこの二編の小説の「偉い/えらい」とは、とにかく死なずに生きていくこと、二人が直面する理不尽や苦境におしつぶされずになんとか生きていくことを表現している。とりわけ『持続可能』の敬子にとっては、彼女をおしつぶしてくるのは「おじさん」に支配された日本社会である。彼女が「推し」(この場合は男性ではなく女性だが)を欲望し、消費することは、そのようなぎりぎりの、「おじさん」の社会に対する抵抗なのだ。

 敬子の言葉を借りるなら、「理不尽なことや、うまくいかないことがあるたびに、魂は減る。魂は生きていると減る。だから私たちは、魂を持続させて、長持ちさせて生きていかなくてはいけない。そのために趣味や推しをつくるのだ」。

 この二編を読んでいただければ、「推し文化」が男性(や女性)の記号化といって批判されるべきものではないことは分かっていただけるのではないかと思う。それは「生きてて偉い/えらい」と語りかけつつ自分に言い聞かせるような、ぎりぎりのエンパワメントのための文化なのだから。