特に気仙沼は津波の後に火災の被害もあり、流された銀行のATMが荒らされるなど、火事場泥棒も多発していた。市役所としても、外部からやってくる人間に対して用心深くなっていた時期なんだと思う。「顔が怪しいので」は、いくらなんでも失礼だと思うけど(笑)。でもそんなヤンチャな自分たちを、気仙沼の避難所の皆さんは受け入れてくれた。
「本当に助かりました。ぜひまた来てください!」
そう、松岩公民館はBOND & JUSTICE にとって、初めて長期的に関わることになる避難所になったのだ。
すごい活気! 非常時の女の人は強い
松岩公民館で避難者の人たちが暮らしていたのは、バスケットコート2面分ほどの体育館だった。隙間なく布団が敷かれ、1世帯あたり畳2、3畳ほどのスペースを段ボールで仕切って生活していた。ざっと見ても避難者の数は100人以上。体育館に収まるはずはなく、外にはみ出している人たちもいる。おじいちゃんやおばあちゃんたちの顔には、疲れ果てた表情が浮かんでいた。
「キャッ! また地震!」
仕切りの間を走り回って遊んでいた子供が、頭を抱えてしゃがみ込んだ。見上げると、天井の照明がぶらんぶらんと大きく揺れている。2週間経ってからもこのような余震が連日に何度も訪れていた。余震とはいえ、揺れの強い時は震度5が計測されることもある。自分も、大きな縦揺れがあった時には3.11のことがフラッシュバックした。避難者が心的ストレスを感じるのも当然だった。
「皆さん、食事はどうしているんですか?」
二度目に訪れた時、気になっていたことを避難所の管理者に聞いてみた。
「食事は調理室で3食作ってます。食材は支援物資を活用したり、被災した水産加工会社の方が提供してくれた加工品などで賄ってますね」
「調理は誰がしてるんですか?」
「避難してきてるお母さん方です。他にも地域の方々がお手伝いに来てくれたりして」
調理室に案内してもらうと、さらに驚かされた。大きな釜からもうもうと湯気が上がる中、10人以上のお母さんたちが忙しく立ち働いてる。しかも「カワムラさん、味噌汁できた?」「はーい、今すぐ!」なんて、手だけじゃなく口も動かしまくりながら。すごい活気! 非常時の女の人は強い。文句ひとつ言わず、ではなく口々に文句を言い合いながらテキパキと働いているその姿が、とても頼もしかった。