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避難所の子供たちから学ばせてもらったこと

 翌朝も、まだ外が暗い時間から数名のお母さんたちが全員分の食事を作っていた。中でも一番動きの良いお母さんは、松岩公民館館長の奥さんだった。

「うちは自宅が何とか大丈夫だったので『何か自分のできることを』って思って、食事のお手伝いをしてるのよ」

 体育館ではその美味しい食事を、子供たちが首を長くして待っていた。プラスチック皿や紙皿に盛りつけられた食事が到着すると、「いただきまーす!」と手を合わせてからモリモリと食べる。食後には「ごちそうさま!」とまた手を合わせ、自分で調理室まで食器を運んで片付けを手伝っていた。

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継続的に支援を続けてきた宮城県塩釜市の離島・桂島。誰に言われなくても炊き出しを手伝う避難所の兄妹(「BOND & JUSTICE」提供)

「いただきます」と「ごちそうさま」。子供たちから聞こえたそんな普通の言葉が、やけにリアルに、そして暖かく感じた。“非日常の中での日常”の大事さと、“避難生活中の食の重要性”が身に染みた出来事だった。

 避難所の子供たちから、他にも学ばせてもらったことがある。子供たちは遊んでいるだけじゃなく、中学生の子が小学校低学年の子供たちに勉強を教えたり、本の読み聞かせをしたりしていた。その姿が、自分の目には「避難所」という名の大きな家族のようにも見えた。

 そして先の見えない不安に大人たちの心が沈んでいる中、いつも元気な子供たちの笑顔は、避難所で唯一の“希望”だった。

「今ここで起こってることがドラマなんだ!」

 松岩公民館では、本当に沢山の人たちと沢山の話をした。その中で特に印象に残っている人たちがいる。一人目は、避難者の〈テレビおじさん〉。

 (「BOND & JUSTICE」提供)

 体育館の物資置き場になっている場所には、共有テレビとストーブが置いてあるスペースがあった。“憩いの場”として機能しているようで、いつも高齢者の方が暖を取ってテレビを眺めていた。ある昼下がり、代後半のおじさんが画面に向かって突然叫び始めた。

「テレビの中で流れてることがドラマじゃねえ! 今ここで起こってることがドラマなんだ!」

 そう言い終えると、フッと悲しそうな表情をしてうつむいた。まさか自分の町が、自分の家が、家族や友人が津波に飲まれ、避難所生活を強いられることになるとは……。おじさんの言葉には、そんな悲しみや悔しさが込められているように思えた。