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ヤンキーはなぜ10年間も被災地支援を続けるのか「地元が津波に飲み込まれ、DJの先輩は亡くなった」《俺の東日本大震災》

ヤンキーはなぜ10年間も被災地支援を続けるのか「地元が津波に飲み込まれ、DJの先輩は亡くなった」《俺の東日本大震災》

ヤンキーと震災 #1

2021/03/13

genre : ニュース, 社会

note

 ひげに長髪、腕にはタトゥー。サングラスをとった眼光は鋭く厳つい……。

 被災地支援団体「BOND & JUSTICE(ボンジャス)」には、 そんな“ヤンチャ系”ばかりが集まっている。彼らは2016年の熊本地震や2018年の西日本豪雨などでも真っ先に現地に入り、手慣れた様子で救援物資を配って回ったという。率いているのはヒップホップのイベントオーガナイザーでもある大圡雅宏さんだ。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災が、「ボンジャス」始動のきっかけになった。

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 当時、大圡さんは出張先の青森で被災。地元は福島県南相馬市の沿岸部で、家族の安否を確認できないような混乱した状況が続いていた。しかし大圡さんは全国の仲間に連絡しエルグランドで青森から南下。道々で仲間たちから救援物資を受け取り、被災地に届け始めたのだ。

ボンジャスメンバー (「BOND & JUSTICE」提供)

 彼らはなぜ被災地支援を始め、続けているのか。10年間の経験のなかで見えてきた「被災地が本当に必要としている支援」は何なのか。

 大圡さんの新著「起こった事は最悪だけど、出会った事は最高。 HIPHOP被災地支援隊10年間の軌跡」(東京キララ社)から一部を抜粋し、被災地支援のいまを考える。

◆ ◆ ◆

2011年3月9日、震度5弱、マグニチュード7.3の地震

 ちょうど正午前のことだった。

 目の前の巨大な冷凍庫が「ガシャン、ガシャン!」と、大きな音を立てて揺れていた。

 2011年3月9日。

 その日、自分は青森県青森市にある老舗デパートへ出張に来ていた。実は10日ほど前に前職を退職し、物産展へ出店する短期の仕事を引き受けたのだった。

宮城県の被災地(「BOND & JUSTICE」提供)

「大きかったね~」

「怖かったぁ」

 デパートにいた人たちは、まだ揺れている天井の照明を見上げ、口々にそう言っていた。震度5弱、マグニチュード7.3。ガラケーで確認すると、三陸沖で発生した地震だと速報が入っていた。

「なんか気持ち悪いね……」

 どこからか、そうつぶやく声が聞こえた。なんとなく嫌な予感はしたものの、今はまだ仕事の真っ最中。散らばった物を片づけ、すぐに仕事を再開した。