携帯のメモリーに入っている人全員にメールを送り続けた
「福島県南相馬出身の大圡雅宏といいます。自分の地元が地震、津波で飲まれ、これから物資や支援が必要になってくると思います。どうか力を貸して下さい。福島県南相馬鹿島出身/1980.6.17日生まれ/携帯電話番号/メールアドレス/七十七銀行口座」
携帯のメモリーに入っている人全員に、こんな内容のメールを送り続けた。寝ることも寝ることも忘れ、ひたすらメールを送り続けた。
電話が繋がった何人かの仲間に「今の現状どうなっている?」と聞いても、「まだ被害状況はわからない」としか返事は来なかった。一睡もできないまま夜が明けた。
翌日の3月12日からはまた催事の仕事が始まった。だけど当然、昨日までのように、というわけにはいかなかった。
出勤前に寄ったコンビニの棚は見事なまでに空っぽだった。地震により荒れてしまった催事場の片付けをしながら聞いていたニュースからは、自分たちの生まれ育った町や、過去にライブで呼んでもらった町の情報が、次々に飛びこんでくる。
「名取市閖上地区では数十名の遺体が発見されました。地区全体が壊滅的な被害に遭っています」
瓦礫に覆われた沿岸部の町や仙台空港の映像が映し出され、見るたびに心が締めつけられる。仲間や家族の安否が、心配で仕方がなかった。
「何これ……ヤバいよ!」悲鳴のような声が響いた
そこに従兄弟から電話がかかってきた。
「桜ホールが受け入れてくれそうだって!」
地元の福島県南相馬市鹿島区の〈桜ホール〉という公共施設が避難所になっていることがわかり、物資の送り先として受け入れの許可を確認してもらうことにした。
と、その時だった。催事場に悲鳴のような声が響いた。
「何これ……ヤバいよ!」
その声の主はワンセグでニュースを見ていた人だった。駆けよって見せてもらうと、見慣れた地元の光景に、異変が起きていた。
海岸沿いの建物から、空へと舞い上がる、大きな煙。
福島第一原発3号機の水素爆発——。
唖然とした。絶望感しかなかった。どうしたらいいのかもわからなかった。電話回線が再びパンクして、どこにも繋がらなくなっていた。
(後編へ続く)
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