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「頭までタトゥーの仲間が『こんなに『ありがとう』って言われたの初めてかも』って」さだまさしが見た復興支援隊の“ヤンキー魂”《緊急対談》

「頭までタトゥーの仲間が『こんなに『ありがとう』って言われたの初めてかも』って」さだまさしが見た復興支援隊の“ヤンキー魂”《緊急対談》

ヤンキーと震災#3

2021/03/13

 2011年3月11日に起きた東日本大震災。未曾有の大災害を目の当たりにし、全国からボランティアが被災地に入った。

 それから今年で10年——。この災害の多い日本で、いまなお被災地支援を続けているのが、NPO法人「BOND & JUSTICE(ボンジャス)」代表の大圡(おおど)雅宏さんだ。ヒップホップのイベントオーガナイザーで、少々ヤンチャな少年時代を送った大圡さんは、日本全国に散らばるヒップホップ&ヤンキー人脈をフル活用して救援物資を集め、誰よりも早く被災地での支援を行っている。

「これぞヤンキー魂だよね!」

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 そう評するのは歌手のさだまさしだ。さだも東日本大震災をきっかけに被災地支援を始め、その後に海外の医療従事者支援のために立ち上げた公益財団法人「風に立つライオン基金」を援用し、毎年のように起きる地震や水害の支援も続けてきた。自らが被災地へ赴き支援活動をする傍ら、「ボンジャス」のような支援団体を資金面から支えてもいる。

 さだまさしとヤンキー。

 水と油のような組み合わせだが、両者が被災地支援で手を取り合っているのは、一体なぜなのだろうか。

リモートで対談したさだまさしと大圡さん ©文藝春秋

◆◆◆

10年経っている気がしないのは、まだ震災の記憶が生々しいから

さだ 震災からもう10年経つんだね。

大圡 自分としては、とにかく早かった、っていう印象ですね。地元の南相馬の漁師のツレが消防団員だったから、住民に避難を呼びかけてる最中に津波に飲まれて亡くなったんです。そのツレに当時8歳だった双子の息子がいたんですけど、その子たちが今、父親の跡をついで漁師になったんです。

大圡さんの友人である父親を亡くした当時8歳の双子(「BOND & JUSTICE」提供)
父親を継いで漁師になった双子 (「BOND & JUSTICE」提供)

さだ 子供の10年は我々とはちがうからね。

大圡 自分たちにはあっという間でも、子供にとっては長い時間だったと思います。途中ヤンキーになってバイク乗り回していたりしたのに、こないだ会ってきたらすごい成長してて。

さだ でもあっという間だったっていうのは、大圡君はずっと全国の被災地を飛び回っていたからじゃない? すごいよね。どこの被災地に行っても、ボンジャスが真っ先に被災地にいるんだよな。

ボンジャスのメンバー(「BOND & JUSTICE」提供)

大圡 さださんと「風に立つライオン基金」の支援がある安心感があるからです(笑)。でも10年経っている気がしないのは、やっぱりまだ震災の記憶が生々しいんですよね。

さだ 僕も最初に被災地に入った時のことは忘れられないな。前日の夜に佐賀で「生さだ(「今夜も生でさだまさし」NHK)」をやって、そのまま寝ないで5月1日に(笑福亭)鶴瓶ちゃんとNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で石巻市に入ったんだけど、番組は番組として、僕は一人で市内を回らせてもらったんだよ。あの惨状を目の当たりにして正直言葉を失った。音楽屋なんて何も役に立たないってことを、あんなに実感したことはなかった。