「絶対大丈夫」ある男性からもらった贈り物のような言葉
二人目は、避難所を初めて訪れた時にトラックからダンボールを降ろしていた時、隣にいた人。その人は自分たちと同じく被災地支援に来ている50代のおじさんで、1995年に起きた阪神淡路大震災の被災者だという。
「中越沖地震の時も来たんやで。阪神の時は、東北や中越の人たちに沢山助けてもらったからな。あの時は助けてもらうばっかりやったけど、今こうして恩返しに来れてることにむしろ感謝や。兄あんちゃんは福島出身か。頑張れな。絶対大丈夫やから。希望を持ち続けていれば、東北だって絶対に復興できる。神戸や大阪を見てきたワシが保証する」
贈り物のようなこの言葉を、心が挫けそうになる度に思い出している。
「お前ら、酒飲めるのか?」「ほれ、これ持ってけ」
三人目は、公民館から名取市の基地に戻る時に、自分たちに声をかけてきたおじさん。「おい、兄ちゃんたちよ」その人は60代前半くらいでけっこうコワモテの雰囲気。顔に見覚えはあったけど、一度も言葉を交わしたことはなかった。
「お前ら、酒飲めるのか?」
「はい。ばんばん飲みますよ」
笑顔でそう答えると、おじさんのコワモテの顔もクシャっと笑顔になって、茶色い瓶を渡してきた。
「ほれ、これ持ってけ。封は開けてねえから大丈夫だ」
泥で汚れたラベルから何とか読み取れた文字は「V.S.O.P」。きっと津波に飲み込まれた物なのだろう。その後、おじさんの顔をどこで見たのか思い出した。夜中、車の中でこっそり酒を飲んでたおじさんだ。避難所になっている体育館では、子供もいるし迷惑になるから大っぴらに酒盛りはできない。だから酒飲みの人は、こっそり車の中で飲むしかない。このお酒はおじさんにとって、とっておきのブランデーだったのかもしれない。そう思うと、ちょっと涙が出そうになった。
活動に大事な“気づき”を与えてくれた避難所
「ありがとうございます! 行ってきます!」
松岩公民館から名取市の倉庫に帰る際に、いつしか自分はそう声をかけるようになっていた。いた。
「ただいま!」
名取から気仙沼に戻ってきた時には、そう言うようになっていた。普通とは逆の、「行ってきます」と「ただいま」。子供たちに気づかされた「いただきます」と「ごちそうさま」。松岩公民館はBOND & JUSTICE の活動に大事な“気づき”を与えてくれた避難所だった。
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