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200人の業務屋が大集合して

 改めて説明するまでもなく、水面下でそんな政官界と建設業界とのパイプを維持する役割を担ってきたのが、談合担当者たちであり、そこで談合組織が機能してきたといっていい。選挙についても同様だ。元通産官僚の太田房江が自民党推薦を得て出馬した最初の知事選は、まさに典型的なケースだろう。石田が振り返る。

「大林組の大講堂に集まった業務屋は、200人ほどいたと思います。少なくとも100人は集まっていました。自民党からは、鈴木宗男さんや衛藤征士郎さんが駆け付け、挨拶していた。後にも先にも、選挙であれだけの業務屋が一堂に会したのは、ほかに知りません」

 太田房江の選挙応援に声をかけられた建設業者は、実に400社にのぼった。そのうち主だった建設会社の談合担当者が集ったという。結果、知事選はかつてない談合屋たちの大集合となる。現場にいた別の談合屋は得意顔だ。

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「本来、太田さんは広島出身だったから、大阪とは縁が薄かった。加えて、自民党府議団が別の候補者を擁立したのだから、勝ち目もあまりなかったといえます。その劣勢をひっくり返したのが、われわれでしょう。400社の業者が、いっせいに走り出し、10万票は上乗せできたのではないか、と自負しています」

エリート談合屋の声がかり

 日本の政界では、建設業界の政治献金の多くが選挙に費やされ、ゼネコン業界そのものが集票マシーンとして機能してきた。突如大阪府知事選に出馬した太田房江の選挙は、紛れもないそんなゼネコン選挙だったといえる。奇しくも、太田の選挙事務所は談合のドン、山本の牙城である大林組本店の隣に設けられていた。

「関西の建築分野では、天皇と呼ばれた竹中工務店顧問の松永英夫さんの影響力が大きかったのですが、このときはその松永さんが引退した直後でした。いわば大林組の山本さんが松永さんの跡を継いだわけです。その山本さんのお声がかりだったから、あれだけ大勢の業務屋たちが集まったのでしょう」

 当日、そこに駆けつけた石田が述懐する。たたきあげが多い談合担当者のなかにあって、大林組の山本は東大経済学部を卒業し、常務にまで昇り詰めた。エリート談合屋でもある。国民新党代表の亀井静香とは東大の同窓だ。談合事件の摘発が相次いだ07年、当人も大阪府枚方市の事件に絡んで検挙された。執行猶予付きの有罪判決を食らい、失脚するが、それまでは業界の天皇として一時代を築いた人物だ。その山本がみずから音頭を取ったゼネコンの選挙応援について、石田が次のように説明する。