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「コンピューターで競馬予想」という投資話を持ちかけて

 緒方から由紀夫さんが投資話に乗り気で、カネを出しそうだとの報告を受けた松永は、みずからが乗り出すことにした。その際の状況については、後の公判での判決文にある、検察側による〈事実認定の補足説明〉(以下、〈補足説明〉)に詳しい。

〈松永は、緒方を通じて、自己(松永)を由紀夫に紹介させ、由紀夫に会った。松永は、由紀夫に対し、「宮崎」と名乗り(緒方は「田中」)、「自分はコンピューター関係の仕事をしている。」などと嘘を言い、コンピューターで競馬の予想をして儲ける投資話を持ちかけた。松永は、その後も由紀夫と頻繁に会い、一緒に飲食するなどして、関係を深めた〉

※写真はイメージ ©️iStock.com

 この連日の飲酒を伴う飲食の際に、松永は由紀夫さんから生活環境などを細かく聞き出し、家庭生活の愚痴などを引き出している。そのなかには、後に由紀夫さんを脅すための材料となる話もあったようだ。先の検察側の冒頭陳述は次のように述べている。

〈被告人松永は、甲女の父が、当時勤務していたA社において、顧客から依頼を受けた居室の消毒作業を、実際には行っていないにもかかわらず、顧客にはこれを行ったなどと偽り、受領した作業代金を領得して小遣い稼ぎをしていることなども、言葉巧みに聞き出した〉

 ちなみに、4月に三郎丸ビルを出た松永らは、かねてから松永が知人女性名義で借りていた北九州市小倉北区にある「東篠崎マンション」(仮名)70×号室に移り住んでいた。一方で由紀夫さんは、同市門司区にある「上二十町マンション」(仮名)に娘の清美さん(仮名)と、内縁関係にあった安田智子さん(仮名)、智子さんの連れ子である3人の子どもの計6人で住んでいた。

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借金を抱えていた由紀夫さん

 後の公判での松永弁護団による冒頭陳述は、その当時の由紀夫さんが置かれた状況について触れている。

〈由紀夫は、当時700万円くらいの借金があり、由紀夫の内妻には、「別れた妻が300万円くらい借金しており、別れた後自分が代わりに返済している。」などと言っており、月々その返済をしている〉(※当時の内妻・智子さんへの取材では、借金の名目については内容が異なり、実際の借金返済はほとんど智子さんが行っていた旨の証言がある)

 そうした状況の由紀夫さんに対して、松永はコンピューターを使った競馬予想会社を立ち上げようと誘いかけた。起死回生を狙った由紀夫さんは、その申し出を受け入れてしまうのである。〈補足説明〉にある状況は次の通りだ。

〈松永は、平成6年(94年)7月10日、由紀夫をして、(北九州市小倉北区の)「江南町マンション」(仮名)80×号室を賃借させ、同室を競馬予想の事業の事務所にするなどして、コンピューター、ホワイトボード、テーブル等を運び入れるなどした〉

※写真はイメージ ©️iStock.com

 もちろん、松永にコンピューターを使った競馬予想のノウハウなどあるはずもない。あくまでも、由紀夫さんに内妻との同居を解消させるための拠点作りが目的だった。