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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「クスリの中毒患者のように…」松永の標的にされた被害者の“豹変”を見ている人物がいた

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #50

2021/03/16

genre : ニュース, 社会

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 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第50回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

一緒に暮らしていた内縁関係の女性、安田智子さんの証言

 1994年4月以降、松永太と緒方純子にとっての新たな“金づる”として、標的にされてしまった福岡県北九州市の不動産会社社員・広田由紀夫さん(仮名)。彼が松永らに絡めとられていく様子を、当事者として間近に見ていた人物がいる。

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 同年8月に由紀夫さんが住居から出ていくまで、一緒に暮らしていた内縁関係の女性・安田智子さん(仮名)である。2002年の松永らの事件の発覚時、私は複数回にわたって智子さんに話を聞いてきた。以下、彼女とのやり取りをまとめたものを記す。なお、前回(第49回)も記したが、智子さんの記憶していたものと検察側が説明する時期について、一部で異なるものがある。その点については検証が不能であるため、ここでは証言を優先して掲載する。

「由紀夫さんと知り合ったのは1991年2月。友人を介してです。当時、私は保険の外交員をしていて、由紀夫さんは運送会社で働いていたのですが、保険に入ってくれ、会社の同僚も紹介してくれました」

※写真はイメージ ©️iStock.com

 同年夏に由紀夫さんは不動産会社に転職。智子さんは当時小学1年生だった清美さんを自宅で預かるなどして、徐々に親しくなっていった。やがて、翌92年5月に清美さんを連れた由紀夫さんと、子ども3人を連れた智子さんは、北九州市門司区にある「上二十町マンション」(仮名)で同居を始める。

93年まで家族6人でうまくいっていたが……

「由紀夫さんはひょうきんで明るく、私の子どもたちも、本当の自分の子どものように接してくれていました。また、清美のこともとてもかわいがっていました。私の子どもたちも由紀夫さんに懐いていて、夕食も由紀夫さんが仕事から帰ってきたら、一緒に食べるといって我慢しているほどでした。もちろん私も清美を我が子として扱い、ときには叱ったり褒めたりしていました」

 翌93年も家族6人でキャンプをしたり、ディズニーランドに旅行に出かけるなど、家族団らんで過ごしていた。

「そんな和気あいあいとした生活が続いたのは93年までです。その頃、由紀夫さんは宮崎さん(松永)や田中さん(緒方)と知り合ったようでした」

 松永と緒方は、由紀夫さんに対して当初から「宮崎」と「田中」という偽名を使って接触し、それで通している。やがて94年になり、由紀夫さんは3月にそれまで勤めていた不動産会社を辞め、4月から新たに別の不動産会社の立ち上げに関わり、そこで働くことになった。

「新たな会社での仕事を始めて間もなく、由紀夫さんから『知り合いと別の会社を立ち上げるから、30万円貸してくれないか』と言われました。どんな会社をやるのと聞くと、『知り合いを紹介するから。そうすれば分かる』と言われ、門司(北九州市)で初めて宮崎さんと田中さんを紹介されたんです」