8年後の事件発覚後に明らかにされた、清美さんの手紙の真相
それから8年後の事件発覚後に、この手紙の真相について智子さんは知ることになる。
「事件が発覚して捜査が進んでいくうちに、清美が別れるときに私にくれた手紙の内容は、宮崎たちに無理やり書かされたものだと聞き、涙が出ました」
取材時、智子さんは「宮崎」と「田中」の、外見などの特徴について説明していた。
「宮崎さんは黒縁の眼鏡をかけ、鼻と口が大きく面長でした。一度眼鏡を外したところを見たことありますが、目は二重でした。いつも黒い大きなバッグを持ち歩き、ちょっと長めの髪を七三分けにし、首を傾げながら髪をかき上げるのが癖でした。腰が低く、私のことは『智子ちゃん』と呼んでいました。また、『自分も(由紀夫さんと同じく)××(かつらメーカー)で一本一本植えてるんですよ』とも言っていました。
田中さんは写真も見ましたが、あの通り出っ歯でショートカット。目は二重で眼鏡をかけていました。腰が低く、訛りのある喋り方で、『たなかですぅ~』と言っていました」
清美さんを手放し「とても悔やんでいます」
智子さんは、娘同然にかわいがっていた清美さんを手放してしまったことについて「とても悔やんでいます」と語る。
「由紀夫さんが出ていっても、そのまま清美を手元に置いておけば、また違った結果になったかもしれません。こんなことを言うのもなんですが、自分が産んだ子だったらよかったと思います。あのまま一緒に暮らし、彼女が望めば大学まで進学させてやりたかった。清美は取り調べで、『自分の人生のなかで(智子さんと過ごした)あの3年間が一番楽しかった』と言っていると聞きました。会えたらまず手を握ってやりたい。いまでもあの子が望むなら甘えてほしいです。なんでこんなことになってしまったのか……」
それはまさに、松永と緒方による意図的な“分断”によって、人生を変えられてしまった悲劇としか言いようがない。
その後、智子さんと清美さんは、無事に再会を果たしていることを付記しておく。
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この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。